体と心を守れるのは自分しかいない
もうn回目になるのだろうか、このネタは。
体と心は繋がっている。いや、本当ですね。嫌ってほど気づかされているし、知っているはずなのに、つい忘れてしまう。
1月から続く不調についての記事は実は2つほど下書きの中に入っている。だけど、なんかどれも泣き言と愚痴と症状を羅列するだけのつまらん記事になりそうだから、眠ったままでいる。
だからといって、この記事が面白くなったり、愚痴が一切なかったりする訳では
決してないのだけど。
四つの症状に見舞われていた当初に比べて、今は若干良くなってきているし、何よりも散歩ができ、本調子とは言えないけどダンスもできるまで回復したから全然いいのだ!
心当たりはいくつかあるし、ここまで酷くなったのは自分の怠慢と性格と病院嫌いのせいだ。
そして、自分はケアをしている、健康に気をつかっている、という状況に慣れきっていたのだと思う。体(心もだけど)のケアは季節や状況に合わせて行うと良いのに、なんというか均一にしていたから、それはケアをしていないのも同じだし、体からの声を聞いていないのにも等しい。
冬が大好きで寒いのも得意だから余計に寒さ対策が疎かになり、そのうえ大寒波だってあった。加えて、年齢的なこともあるのだと思う。
家族や周りの人に心配や迷惑をかけ始めて、自分の不甲斐なさにも落ち込む。
何のために生きているんだろう
そんなネガティブなことだって考え始める。
こういう時は自分が世界で一番大変なんだって思いがち。だけど、自分だけでなくみんなそれぞれの大変さを抱えて生きている。
あと、弱ってみてようやく人の優しさに気がつける。よく言われることだけど、本当だなって。
noteの記事に泣き言を吐き出さなかった代わりに、ダンスのレッスンでは辛いと言っては皆に慰めてもらっていた。あー、こんな重ったるい波動を出したくないんだよ、と思いつつも、甘えてつい言ってしまう。
2月の獅子座の満月(合ってるかな?)のオンラインレッスンから少しずつ元気になってきて、魚座新月を間もなく迎えるタイミングであったリアルレッスンでは久々に体が緩んだことが実感できて、踊っている時はひたすら幸せで楽しかった。
踊ることは、いつもわたしの心と体を助けてくれ癒してくれる。
しばらく踊れないかな、、、とまで足の指が痛かった時、その他の箇所が痛くて心が萎んでいた時、そんな風にも考えた。
体と心を満たし、適切な滋養をとり、季節に合った養生をしていく。
それを少しずつ行い、それこそこれまたn回目の自分の「完璧主義」を手放す訓練にも繋がっている。
環境が変わり、全てを完璧にやろうと(実は完璧にできないのに)必死に生活をしていた。
やることが山のようにあって、でも、みんなこうやって生きているんだと自分に言い聞かせて、一応頑張っていたけど、ここにきてやること・やらないことの見直しが必要になってきたようだ。
体と心の代わりはきかない
みんなと同じでなくて大丈夫
わたしの場合、もしかすると不得意ではないけど、単純にタスクやこなす量が多いのかもしれない。
この頃は一度に色々なことが重なると混乱し始めるし。
だから、自分で調整できるところはペースダウンさせないと。
今日近所をのんびり散歩していて、アドレナリンの「ア」の字も出ない状況だった時に、数年前までの自分はアドレナリン出しまくっていたことを思い出した。
なんであんなに色んなことを物凄いスピードでこなし、色んな場所に行き、情報を逃さずに出来ていたんだろう。
単に加齢だよ、と言われればそれまでだけど、とにかく今は養生したい。
いつものことながら、話がどんどん逸れていってしまったけど、何をするにも体と心があってこそ。
春に向けて、体と心に滋養をつけてエネルギーを復活させていきたい。