続・ベートーヴェンのささやき
B:“ジャーナリストが事実や状況を伝えるとき
その人の個人的な感情や偏見が反映されてしまうと
正確なものにならない。
同じように
圧倒的な天才による創造物である“楽譜”を音にするとき
伝えるわたしたち演奏家が自分の主観を入れすぎては
作品の真実、真意が歪められてしまう。
とはいえ、その人の肉体を通して弾くのだから
どうしたって弾き手の個性は滲み出てくる…。
だから、作品のありのままがそのまま伝わるよう
自分をなるべく“透明”な魂にして
音を紡ぐことを心がけなくてはいけないのではないか”
…君はそんなことを考えてたことがあったよね?
M:うん。だって、わたしたちは音楽の語り手なんだもの。
楽譜の真実を歪めず、“台本”を尊重しなくちゃ。
B:それはそうなんだけど、、
少し言い淀んだあと
またも彼はわたしを驚かせることをささやいたのです。
B:でも、その考えかたって実は“分離”なんじゃないかな。
M:え、どういうこと?
B:分けなくていいってこと。向きあったり対峙しなくていいんだ。つまり…。
卵のなかに、曼荼羅のように
いろんなものが入っているこの絵を指さしながら
彼は続けました。
B:書き手、楽譜、弾き手…さらに聴き手も、さらにその空間も、
みんなでひとつのものをつくりあげてるってこと。
形も大きさ、重さもまったく同じ卵なんてありえないよね。
真実じゃない卵なんて、ないんだ。
この世に唯一の卵をはぐくんだり愛でたりすること。
それが生きるってことだと僕は思うよ。
透明とか正確とか、、そういう方じゃなくて
“ひとつ”を伝えておくれね。
、、
自分と自分の対話とも思えず、かといって
本当にベートーヴェンからの言葉とも信じがたく…
半分は妄想なのでしょうけれど
よろしければもう少しだけ、おつきあいください🙏
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