代弁しない代弁されない #しあわせ自家発電力をつける習慣
誰かの気持ちを想像し
代わりに怒ったり、代わりに周囲に訴えたり…
気をつけないと、ついしてしまう。
それ誰かの気持ちじゃなくて、自分の気持ちなのにね。
代弁される側もうっかりすると
代弁してもらうことに慣れてしまう。
特に親になると
子どもがうまく説明出来ないのを
横から代わりに口出したい場面は何度も訪れる。
友達にやり込められて
言い返す言葉が中々出ない子どもを
目の前でただ見守るのは、かなり忍耐力がいる。
拙い言葉で説明する子どもを
我慢して見守ることを教えてくれたのは
長女のかかりつけ医だった小児科の先生。
よかれと思って先回りしたくなる私を
子育て一年生時代にピシャリと否定してくれたことにとても感謝している。
誰かの気持ちなど
本当にわかる人はいないのだ。
共に怒り、共に悲しむことは出来ても
代わりに怒り、代わりに悲しむことは出来ない。
勝手に他人の気持ちを代弁しない
自分の気持ちを他人に代弁させないこと
が自分の大切なところを守る。
共に怒り、共に悲しんでくれる友人達に救われた経験があるからこそ
他人の気持ちを勝手に代弁しないように
気をつける必要があるのだと感じている。
「同じ体験していても、ママが見てるものと私が見てるものは違うから」と長女(高2)にバッサリ斬られ
「ママに話して、ママの言葉でまとめられると、つい誘導されちゃうけど、自分の考えてることと、感じてることはそういうことじゃない」
と息子(高1)にグッサリ刺されてるんだが
これは長年の
代弁しない、代弁させない習慣をつける教育が少しは根付いているということなのだろうか、、
と胸から血を流しながら考えている。
ポタリ。
2人とも自分から色々相談しにきて刺すなよ、と思いつつ止血中。
多少の痛みを伴ったとしても
つけたい
代弁しない
代弁させない習慣。
おっと、ここにも血痕がっ…
少々のことには動じないで
しあわせ自家発電力をつける習慣。