他人の人生をジャッジしない #しあわせ自家発電力をつける習慣
専業主婦で良妻賢母の母を尊敬し感謝しつつ
家族は幸せだけれど
母は自己犠牲の人生なのではないか
と感じてきた。長い間。
小学生時代、当時まだハシリだったインテリアコーディネーターの資格を取り、仕事を始めた母を
「鍵っ子は嫌だー!」と大暴れして専業主婦に戻した。
一方で、母になった自分は専業主婦チャレンジを数ヶ月でギブアップし、3人の子育てのヘルプを母に頼ってきたという経緯もある。
母はいつも楽しそうだったのだが。
数年前に分子栄養学の先生、まごめじゅんさんのセッションで
母の話になり
いつも楽しそうに生きている母の人生に
勝手に「自己犠牲の人生」という
レッテルを貼っている自分に気付いた。
自分の中の罪悪感で
勝手に他人の人生をジャッジしていた。
キャーーーー失礼な奴ーーー!
自分の変な思い込みフィルターを外して
母の人生にタイトル付けてみるとしたら?と問われたら一瞬で頭に浮かんだのは
『ローマの休日は続くよ』
若い頃、イタリア留学した母は家庭にもイタリアで吸収した文化の風を吹かせ続けて来た、いつも楽しい、いつも美味しい、いつも芸術や好奇心と共にある我が家。
一瞬で私の中の母の人生の色は一転。
『自己犠牲の人生』から『ローマの休日は続くよ』へ。
自分の思い込みで
他人の人生をジャッジすることで
自分を縛っていたことにも気付いた。
他人の人生を勝手にジャッジすることは
自分の人生のジャッジをも他人に委ねることだ
母の人生を曇りない目で見たら
自分もすっかり身軽になった。
他人の人生をジャッジしていることに
気付いたら
それは自分の中の不要な思い込みフィルターのせい。
大きなトラブルがあり、外野から見て「かわいそう」「失敗」と見えたとしても本人にとっては「かわいそう」「失敗」では無いこともよくある。
自分の人生をジャッジしていいのは自分だけだ。
他人のジャッジに耳を貸さない。
他人の人生をジャッジしない習慣。
周りのみんなのためにも
自分のためにも
しあわせ自家発電力をつける習慣。