熱中するものは、見つける必要ない。決めるだけ。
私たち親や教員の多くは、子どもに向けて
気軽に「好きなものを見つけなさい」「好きなことをやりなさい」「熱中できるものは?」と言う。
善意100%の諸刃の剣言葉。
「好き」を仕事に、と熱心に子どもに言い出したのは職業をある程度好みで選べるようになった団塊の世代からだと大学の講義の中で聞いたことがあるが(出典は不明)、私もそう育てられた団塊ジュニア世代だ。
「好きなもの」「熱中できるもの」が無いという悩みが子どもにも大人にも多いのは、そうした時代背景と共にマスコミが報じる有名人の「熱中できること」との運命の出会いのイメージが一人歩きしているからか。
我が家の子どもたちも「熱中できるもの」との運命の出会いを期待して進学を希望しているようだ。実際、出会っちゃう時は出会っちゃうのだが、それでさえ「出会ってしまった」と決める力の差でしかなかったりする。
というわけで
2/4からの新年は「決める」がテーマであるという私に
友人がシェアしてくれた動画を我が家の高校生たちのLINEにもそっと送っておいた。
観るかどうかは彼らが「決める」ことだけど。
熱中するものは見つける必要はなくて決める
人生を賭けるほどの出会いとか 人生を捧げるほどの感動みたいなものを追い求めてたら50〜60歳になっちゃうじゃないですか そんなものは現れない。白馬の王子様はいないし プリンセスもいない この人と一緒になって絶対に幸せになる意思の方が大切じゃないですか