・RSBC世界における日本駆逐艦の発展 「第二次世界大戦休戦後の戦間期における駆逐艦整備と第三次世界大戦開戦時編制(1943-1948)」
RSBC世界における日本駆逐艦の発展と変遷、考察発表のラストとなります第4回その3、『第二次世界大戦休戦後の戦間期における駆逐艦整備と第三次世界大戦開戦時編制』について考察していきます。皆様、宜しくお願いします。
なお、ここで登場する<秋雲>、<夕雲>級、<春風>級、<北風>級の4種類はRSBCでは登場しない、オリジナルの艦種となります。考察する上で作中世界の矛盾が少なくなるであろう事から入れておりますが、公式の物ではありませんこと、ご理解下さい。
なお、<秋雲>、<夕雲>級は史実の甲型駆逐艦(2000トン級)を、<北風>級は史実の丁型駆逐艦(1300トン級)を、<春風>級はマル5計画で構想された改秋月型(3100トン級)をそれぞれ想定しています。その上で以下を読み進めて貰えたらと思います。
休戦期の駆逐艦建造
さて、前回に引き続きまして1943年の駆逐艦建造状況です。
前年から建造が始まった新時代の艦隊駆逐艦となる<春風>級は本年も継続して追加建造が行われます。
一方で、<秋月>級の生産は打ち切られ、代わりに連装砲を六基と拡大した<冬月>級へ建造が移行します。
なお、補助駆逐艦として<北風>級がかわらず生産が継続されています。
この際、外伝の「九九九艦隊計画概論」ではおおよそ年20隻の建造が行われ、とあるのでそれに近い数を抑えていくことになります。
・この年の建造駆逐艦
北風級(12隻)と冬月級(4隻)、および春風級(4隻)が起工される。
1944年では前年に引き続き、春風級、冬月級、および北風級の生産が継続されます。
さて、この時点で竣工している日本駆逐艦の内訳は、以下のようなものとなるでしょう。
・睦月級以前の1300トン級駆逐艦
→全数が英国へ供与されたため0隻
・吹雪級から陽炎級までの駆逐艦
第二次大戦の損害により23隻が失われた結果44隻
・陽炎級より後の駆逐艦
島風型までで16隻が竣工、秋月級は6隻が竣工、北風級は22隻が竣工(ほぼ同数が英国に供与)。春風級は建造中。
隻数的には第二次世界大戦開戦時とほぼ同数まで回復してきた状況になったと言えるでしょう。そして、新鋭の駆逐艦は次々起工されており、日本駆逐艦隊はこれ以降、急速にその数を増して目処が立てられることとなりました。
こうした環境を迎えた日本海軍は、来たるべき次の戦争──第三次世界大戦では貴重な艦隊型駆逐艦を船団護衛に付けずに作戦部隊にて集中運用を行うべく、作戦部隊と海上護衛部隊の抜本的な切り離しを行う事になります。
これにより海軍では連合艦隊と平行する組織として、海上護衛を担当とする海上護衛総隊が設立されることとなります。日本はこれ以降、第三次世界大戦が勃発した際には日本艦隊が機動的な作戦を自由に行える下地が作られることになっていきます。
この結果、作戦部隊である連合艦隊および遣印艦隊へ配属された艦隊型駆逐艦以外のもの──<吹雪>級から<陽炎>級までの古い駆逐艦となりますが──は竣工していく新鋭艦と入れ替えられた順に護衛艦改造を施され、海上護衛総隊が運用を開始する準備が行われることになります。
・この年の建造駆逐艦
北風級(12隻)と冬月級(4隻)、および春風級(4隻)が起工される。
1945年は、九九九艦隊計画が最後の大改訂を施された年になります。
これは、ドイツ帝国のカナダ侵攻を受け、その対応が練られることになったためです。
今後はインド・中東だけではなく、北米方面をも戦場となることが確実視されるようになった事から、太平洋を補給無しで押し渡ることの可能な大型護衛艦が必要とされるようになります。そのため、1300トン級の<北風>級を更に拡大した護衛駆逐艦が構想され、1800トンを超える<松>級の生産が始まります。この際、海防艦の生産は打ち切られ、護衛艦の建造予算は<松>級に一本化されることになります。
その一方で、長10センチ砲に変わる新主砲である五式12.7センチ砲がようやく完成するものの、その量産体制構築のために<春風>級、<冬月>級は前年に引き続いて生産が継続されることになります。
・この年の建造駆逐艦
松級(12隻)と冬月級(4隻)、および春風級(4隻)が起工される。
1946年は日本駆逐艦に取って輝かしい年となりました。
護衛駆逐艦として高い性能を持った<松>級は当然ながら生産が継続される一方、艦隊型駆逐艦としては、昨年に採用された五式12.7センチ砲を搭載した、<妙風>級と<満月>級の生産が始まります。両者は前級の<春風>級、及び<冬月>級の主砲である10センチ高角砲の代わりに五式12.7センチ砲を搭載した性能向上型となります。両者は本編において砲搭載型駆逐艦の決定版として登場しています。
これにより、ようやくRSBC本編で第三次世界大戦の主役として登場してきた駆逐艦が揃ったことになります。
・この年の建造駆逐艦
松級(8隻)と満月級(4隻)、および妙風級(4隻)が起工される。
1947年度の駆逐艦整備については、ほとんど語ることはありません。1946年度と同様、<妙風>級と<満月>級、および<松>級の生産が継続されることになります。
・この年の建造駆逐艦
松級(8隻)と満月級(4隻)、および妙風級(4隻)が起工される。
そして1948年度の海軍編制は?
さて、以上が私見ではありますが、RSBC世界における第二次大戦直前から第三次大戦開戦前後に掛けての日本駆逐艦はこのような順序で発展、生産が行われるのではないかと考えます。
このように生産計画が進められたとした場合、1948年に第三次世界大戦が勃発した際の日本海軍の艦隊編制は以下のようになるでしょうか。
海軍軍令部
├─連合艦隊(本土予備)
│ ├─第1艦隊
│ │ ├─紀伊級戦艦2
│ │ ├─信濃級戦艦2、大和級戦艦2
│ │ ├─加賀級戦艦2、長門級戦艦2
│ │ └─第1水雷戦隊 最上級重巡1
│ │ ├─夕雲級4
│ │ ├─夕雲級4
│ │ └─夕雲級3、秋雲
│ ├─第2艦隊
│ │ ├─白根級装甲巡2
│ │ ├─伊吹級重巡2
│ │ ├─利根級重巡4
│ │ ├─第2水雷戦隊 最上級重巡1
│ │ │ ├─妙風級4
│ │ │ ├─春風級4
│ │ │ └─春風級4
│ │ └─第4水雷戦隊 最上級重巡1
│ │ ├─春風級4
│ │ ├─春風級4
│ │ └─島風級4
│ ├─第1機動艦隊
│ │ ├─翔鶴級装甲空母2
│ │ ├─飛龍級空母4(改装中の艦含む)
│ │ ├─空母大鳳(直轄艦)
│ │ ├─高雄級重巡2
│ │ └─第3水雷戦隊 最上級重巡1
│ │ ├─満月級2
│ │ ├─冬月級4
│ │ ├─秋月級4
│ │ └─秋月級4
│ ├─第2機動艦隊(第1機動艦隊と司令部兼任)
│ │ ├─天城級空母2
│ │ ├─妙高級重巡2
│ │ ├─阿賀野級軽巡2
│ │ ├─軽巡石狩(直轄艦)
│ │ └─第61戦隊
│ │ ├─冬月級4
│ │ ├─冬月級4
│ │ └─秋月級4
│ ├─第3艦隊(東シナ海警備)
│ │ └─香椎、海防艦、他
│ ├─第4艦隊(南太平洋警備)
│ │ └─鹿島、海防艦、他
│ ├─第5艦隊(東南アジア警備)
│ │ └─香取、海防艦、他
│ ├─第6艦隊
│ │ └─仁淀、潜水艦、他
│ ├─第7艦隊(本土近海警備)
│ │ └─橿原、海防艦、他
│ ├─瑞鳳級空母2(直轄部隊)
│ ├─日進級水上機母艦2(直轄部隊)
│ ├─安土級護衛空母4(直轄部隊)
│ ├─81戦隊(直轄部隊)
│ │ └─5500t級軽巡1、松級8
│ ├─伊勢級戦艦2、扶桑級戦艦2(予備艦状態)
│ └─練習艦隊
│ └─金剛級戦艦3、陽炎級4
├─遣印艦隊
│ ├─大淀
│ ├─比叡、穂高
│ ├─白根級2
│ ├─高雄級重巡2
│ ├─妙高級重巡2
│ ├─第5水雷戦隊 阿賀野級軽巡1
│ │ ├─陽炎級4
│ │ ├─陽炎級4
│ │ ├─朝潮級4
│ │ └─白露級4
│ ├─第5航空戦隊
│ │ └─安土級護衛空母2
│ └─2個潜水戦隊(潜水艦15)
├─海上護衛総隊
│ ├─第101護衛戦隊
│ │ ├─5500t級軽巡1
│ │ ├─軽空母龍驤
│ │ ├─吹雪級4
│ │ └─吹雪級4
│ ├─5500t級軽巡6
│ ├─阿賀野級軽巡1
│ ├─吹雪級から朝潮級までの駆逐艦16
│ ├─松級16
│ └─護衛空母6
├─横須賀鎮守府
│ ├─北風級4
│ └─北風級4
├─呉鎮守府
│ └─北風級4
├─佐世保鎮守府
│ ├─北風級4
│ └─北風級4
├─舞鶴鎮守府
│ └─北風級4
└─大湊警護府
│ └─北風級4
└─その他各種艦艇
連合艦隊の手元には最新鋭の艦艇がある一方、遣印艦隊は<白露>級から<陽炎>級までの旧式艦が主力となります。また、海上護衛総隊は開戦時こそ非力ですが、各鎮守府に配られた<北風>級などの小型艦艇をかき集め、勢力の拡大を図るであろうことが創造出来ます。
RSBC日本駆逐艦の発展、総轄と結論
以上を踏まえまして、第四期の総轄です。
日本駆逐艦は第二次世界大戦を戦うに辺り、質的にも、数量的にも足りていない状況でした。英国救援が遅きに失したのは様々な問題の影響ですが、それを割り引いたとしても各地の戦闘で大損害を被ったのは、日本駆逐艦の能力が様々な点で至らなかった部分が多かったからだと言えます。
しかし日本海軍は、日独の休戦期間においてそれまでの反省を踏まえ、三度目の世界大戦への備えを着実に行ったと言えるでしょう。
第三次世界大戦の戦場は、インド洋での制海権の奪取から始まり、パナマ、カリヴ海、そして北大西洋を経てレイキャヴィク沖へと至りましたが、そこで行われた様々な海戦の中で示した駆逐艦の活躍を見れば、日本の準備は正しかったことが証明出来ます。
第三次大戦における最終的な勝利を可能としたのは、日露戦争後から続けられた、様々な事態が起こりうる、総力戦への対応能力を獲得するための、多くの努力の結果によるものだったということを、結論としたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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