・RSBC世界における日本駆逐艦の発展 「日露講和後から第一次大戦開戦までの期間における日本駆逐艦の発展(1905~1914)」
はじめに
今回から佐藤大輔氏によって書かれたREDSUNBLACKCROSS、通称RSBCの作品世界に登場する日本駆逐艦についての考察発表をしていく水上隆蘆です。皆様、宜しくお願いします。
この発表では、RSBC世界における日本駆逐艦について、日露戦争の敗戦後から第三次世界大戦開戦までの約45年間、どのように整備と発展し、運用や設計の変遷がなされたかを、史実及びRSBC作品の記述を元に考察し、作中で画かれていなかった部分を想像していこうと考えています。なお、この考察は水上による個人的な(一ファンから見た)作品の補完でありますので、公式設定では無いことを先にお断りしておきます。
さて、日本駆逐艦考察についてですが、ここでは日露戦争後から第一次大戦までを第一期、第一次大戦を第二期、第二次大戦までの戦間期を第三期、第二次大戦から第三次大戦が勃発するまでを第四期として大きく分けて、順に解説していこうと思います。このうち、第一期から第三期は史実の各環境を元にRSBC原作の異なっていく記述についての解説が主となっています。一方で、最終の第四期は第一期から第三期までの間に積み上げられた歴史改編によって大きく変わってしまった1940年代の兵力整備について、仮説を立ち上げて大胆に想像する内容となっています。
以上がこの一連の考察についての前説明となります。
それでは、第一回発表、<日露戦争後から第一次大戦までの日本駆逐艦(第一期)>を宜しくお願いします。
・史実における日露講和後から第一次大戦開戦までの期間における日本駆逐艦の発展(1905~1914)
一九〇五年、奉天戦後に行われたクロパトキン将軍によるロシア陸軍の反撃は、日本の勝利で終わるはずだった日露戦争の結果を一転して敗戦へと変更させることになりました。これは、RSBC世界における有名な歴史改編です。これによって日本は中国を植民地経済に組み込み、以降の権益を確保する権利を失うことになってしまいます。そのため、RSBC世界における日本は、以後、植民地経営によらない、加工貿易によって欧米諸国と競う富国強兵の道を選択することになります。
さて、この時期は、日本駆逐艦の建造において技術的に飛躍するための準備が行われた時期と言えます。
史実世界に話が戻りますが、日本海軍は、ロシアを破ったことにより、それに代わる新たな仮想敵国として海洋国家アメリカを選択します。
この時期の最新日本駆逐艦は、日露戦争の勃発によって予算を取得し、建造が開始された(初代)神風型として知られる400トン弱の小型駆逐艦です。
初代神風型
排水量381t 速力31kt 航続力850海里/11kt
武装40口径7.6cm砲2門、28口径7.6cm砲4門、45cm単装水上発射管2基
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6_(%E5%88%9D%E4%BB%A3)
一方で、アメリカ海軍は1902年より竣工の始まった400トン級駆逐艦(ベインブリッジ型等)16隻の建造から、1908年には700トン級の新型駆逐艦(スミス型等)26隻の建造へ移行しはじめた所でした。
当時、日露戦争で使用された300トンクラスの英国製小型駆逐艦の国産及び量産体制をようやく整え終えたばかりの日本にとって、これは厳しい状況でありました。
ベインブリッジ型
排水量420t 速力28.4kt 航続力2150海里/12kt
武装7.6cm砲2門、5.7cm砲5門、18インチ単装水上発射管3基
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8%E7%B4%9A%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6
スミス型駆逐艦
排水量700t 速力28kt 航続力2800海里/10kt
武装7.6cm砲5門、18インチ単装水上発射管3基(準同型艦は連装3基)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9%E7%B4%9A%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6
1908年の日本は、小型とはいえ英国製駆逐艦のコピーを、わずか10年で完全国産化したのみならず(春雨型7隻)、それを改定した同型艦32隻(初代神風型)を竣工させるといった困難なミッションを成功させており、大きな技術躍進がなされていたのですが、将来における米国の駆逐艦部隊──スミス型駆逐艦以降の米駆逐艦群に対抗するには、質的にも量的にもさらなる強化が必要でした。
かくして史実の日本海軍は、新たな駆逐艦整備計画を推進していくことになります。
それが、400トン弱であった従来の駆逐艦を遙かに超える、排水量1000トン以上の一等駆逐艦と、600トン前後の二等駆逐艦の同時整備でした。
この、大中二種類の駆逐艦整備を行う手法は、いわゆるハイ・ロー・ミックスと呼ばれているもので、高性能である大型の駆逐艦は予算やドックの大きさによって同時に多数を建造出来ないため、それより小型のものを平行で建造することで、決戦部隊用に大型駆逐艦を作る一方、性能の押さえられた中型駆逐艦を後方や主要でない戦域に投入する戦力として整備する事で、小型艦艇として重要な質と量の双方を満たす事を狙ったものでした。
しかし、従来までの400トン弱の駆逐艦からいきなり排水量で1.5倍、および2.5倍もの艦を設計、製造するには様々な困難が考えられます。
そこでまずは量産前のプロトタイプとなる駆逐艦を製造することが考えられました。
これが、海風型駆逐艦及び、桜型駆逐艦です。
海風型駆逐艦
排水量1030t 速力33kt 航続力2700海里/15kt
武装12cm砲2門、8cm砲5門、45cm連装水上発射管2基
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%A2%A8%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6
桜型駆逐艦
排水量530t 速力30kt 航続力2400海里/15kt
武装12cm砲1門、8cm砲4門、45cm連装水上発射管2基
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6
海風型は1911年、桜型は1912年にそれぞれ竣工し、製造時の問題も含めて様々な運用実験が行われています。
結論から言ってしまうと、これら新造駆逐艦は、製造及び運用では致命的な問題は無く、十分実用に耐えることが確認されました。しかし、世界における機関周りの技術的発展は著しく、短期間で陳腐化してしまいます。
・RSBC世界における日本駆逐艦の発展(1905~1914年)
さて、ここでRSBC世界に戻ることにします。
こちらの世界においても史実と同様、日露戦争後の日本海軍は新たな主敵として合衆国を仮想敵国として想定していますから、史実と同様に、新型駆逐艦の2系統の整備という方針が採られると考えて良いと考えられます。
とはいえ、こちらの世界の日本では、日露戦争の敗北によって受けた陸軍の回復のため、海軍の戦力拡大のための軍事費は抑え気味となるでしょうから新造駆逐艦の整備は早々には開始出来ないでしょう。そのため、史実と同時期、あるいは1、2年遅れでプロトタイプとなる駆逐艦の製造が行われることになるかもしれません。
一方で、同じく日露戦争の敗北で、旅順や日本海海戦で拿捕した各種艦艇は講和交渉でロシアに返還される事が考えられます。この場合では、史実で行われた拿捕艦艇の整備にかかる費用は丸々浮くことになるので、軍事費削減というマイナスに対するある程度の補填となる可能性はあり得ます。
また、実際に軍事費の締め付けがなされた場合、史実では初代神風型32隻の内、日露戦争後に予算が通っている最末期の3隻についても、戦争終結により予算が通らず、29隻で終了している可能性も考えられます。
以上が史実と比べ、歴史改編によってRSBC世界で日本海軍が受ける影響と思われます。
これらのプラスとマイナスの要素を考え、この考察では、この時期のRSBC日本は、史実と同様、同時期に、対米作戦のために将来量産すべき大中の駆逐艦について試作を行い、<海風>型2隻と<桜>型2隻を建造し、この後に続く量産の準備を行った、と結論することとします。
さて、ここで第一期の総轄です。
RSBC世界の日本海軍は対米戦のために将来、大型の駆逐艦を整備する予定であり、そのための準備が行われました。
ただし、駆逐艦の建造については問題がありませんでしたが、次の課題に手を付けることは出来ませんでした。それは、小型艦にとって最も重要な要素である、数を揃えること──量産が可能かという問題です。
続く第2期において、RSBCの日本海軍は、史実よりも過酷な条件の下でこの難問に向き合うことになります。
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