見出し画像

市場になさすぎて私家版作品集を作った話。

 2016年9月に「セメント樽の中の手紙」を拙作の課題作として扱った時には、まさか自分で葉山嘉樹の作品集を出すことになるとは思いもしませんでした。
 なぜ、私が作品集を編んだのか、と、その舞台裏を書き残しておこうと思います。

葉山嘉樹作品の現状

 葉山嘉樹という作家は、文学史上において、初期プロレタリア文学の代表的作家であり、小林多喜二を『戦記』派の代表、葉山は『文藝戦線』派の代表作家として位置づけられる<プロ文>二大巨塔の片方的な感じで教わる作家ですが、多喜二に比べてあまり名前は通ってない印象ですよね。(日本の二大文学賞における芥川と直木の知名度の差に勝手にシンパシーを感じてしまう)

 作品については、この記事のタイトル通り、2024年現在、書店で買える本が殆どないのです。文庫で買える個人の作品集は、岩波文庫に2冊、角川文庫に1冊あるのみで、他の作家とのアンソロに収録されることもありますが、だいたい同じ作品が1本収録されるだけで、葉山の代表作以外を読む機会は殆どありません。
 最新の全集も昭和50年に第一巻を刊行、翌年第六巻が刊行された筑摩書房版『葉山嘉樹全集』全六巻以降編まれていません。
 50年近く前の全集が出て以降、文庫全集が出るとか、作家単独の作品集が増えるとか、特に大きな動きも無いままです。(岩波文庫さんが2021年に『葉山嘉樹短編集』を出して下さいましたし、角川文庫さんも『セメント樽の中の手紙』を、近年また刷るようになってくださいましたけど!)

 しかし、まったく忘れ去られた作家か、というと、そんなことはありません!!
 葉山嘉樹は、漱石・芥川・太宰のように作品・作家共に「誰もが知っている!」みたいな作家ではありませんが、教科書に「セメント樽の中の手紙」が載っていたり、朗読や動画なんかでも「セメント樽」だけは知名度があるので、作家の名前は知らなくても「この話聞いたことあるな……」ってなるタイプの作家ではあります。
 多少プロレタリア文学に興味のある方には、小林多喜二と同時に知る名前で、多喜二の『蟹工船』に影響を与えた作品が、葉山嘉樹の『海に生くる人々』だという風に覚えている方も多いかとおもいます。

 では「セメント樽」以外の作品の知名度はどうか、というと、現代ではホラー系のアンソロに収録されることがある「死屍を食う男」が人気のようです。角川文庫の『ひとりで夜読むな 新青年傑作選』が有名で、もともと「死屍を食う男」は『新青年』の増大号に掲載されたものなので、幻想怪奇的な雰囲気のする作品として読まれ、親しまれている印象です。朗読動画などもありますし、手軽に触れる機会がありますね。
 ほかに、確認できる範囲では、猫作品のアンソロに「猫の奪還」、妻を失う作品集に「出しようのない手紙」、子がテーマのアンソロに「子を護る」、釣りの作品集に「氷雨」、文豪の借金アンソロに「集金人教育」が収録されたことがあります。

 それでも、残した作品の数の割には、作家個人の本は少なく、アンソロへの収録も少ないのが現状です。

文学に深い興味が無いと出会わない作家

 全集が現在市場に流通していなくて、書店で買える作品集も限られているという事は、葉山作品を探している人にしか読まれないという事です。
 もちろん、国立国会図書館のデジタルコレクションで検索をかければ、現在手に入らない単行本や掲載誌で、いつでも手軽に葉山の作品を読むことができます。
 大き目の図書館に行けば、全集も置いているかと思います。
 しかし、デジタルコレクションの活版印刷で潰れた旧字旧仮名や、全集の新字旧仮名は、現代人にとって娯楽で作品を読むには適しているとは言えません。
 逆に、そういうことをしてまで「葉山嘉樹の作品を読もう!」としている人には、今さら書店に置いている文庫を薦める必要はあまりないわけです。

 おそらく多くの人が、教科書や朗読動画で出会ったか、知り合いからの口コミで知って、青空文庫を検索……という流れで他の作品を読んでいくのではないかと思います。
 その青空文庫にも登録された作品は少なく、流通している文庫に掲載されているものばかり……というのが私は残念でならなかったんです。

プロレタリア作品だけじゃない幅広い作風

 同じような作品ばかりが収録される、プロレタリア作家というイメージが先行している、ということをどうにかできないか、と思ったんですよね。
 葉山は、『文藝戦線』『改造』などの雑誌のほか、『女性』や『新青年』など、色んな雑誌で作品を発表しています。
 その掲載誌の雑誌色と掲載された作品を読み比べると、驚くほどにその雑誌の読者層を意識して作品が書かれていることが解ります。
 手前味噌ですが、『葉山嘉樹作品集』に収録した10作を例にあげてみます。

「セメント樽の中の手紙」『文藝戦線』
「出しようのない手紙」『文章往来』
「平和な村」『文芸雑誌』
「雑草」『農林新聞』
「汗と味覚」『少年保護』
「猫の奪還」『都新聞』
「櫻の咲く頃」『週刊朝日』
「正札つき貴婦人」『女性』
「死屍を食う男」『新青年』
「文学的自伝-山中独語-」『新潮』

 作品を読んだ後に、この掲載誌を意識していただけると、葉山嘉樹の作家としての才能の幅広さを感じていただけるとおもいます。
 「雑草」や「猫の奪還」などは、作家本人の身近な題材を書いたものという意味では雑誌色を強く意識したという感じは前面に出てはいませんが内容を読むと納得ですし、「正札つき貴婦人」や「死屍を食う男」は、モロにこの雑誌の為に書いた!という作品になっていると思います。
 おそらく本人は、自分はプロレタリア作家だからプロレタリア的な文学を!、みたいな認識で書いていないんですよね。色んなものを幅広く書けるし、求められたものを求めている人に応える形で書く作家なのではないかと思います。

 読者層や要望に合わせて書く、というのは作家なら当たり前の話なのですが、その精度が高いといいますか。
 例えば、有名な「セメント樽」は雑誌への投稿作品なのですが、掲載された号の前号(1925年12月)『文藝戦線』の広告欄の募集要項にとても忠実に書かれた作品となっていることが解ります。

〇原稿を募る!
本誌新年號に掲載する左の原稿を募る。奮って寄稿してください。
■農村又は工場の悲劇を主題とした生々しき、生活記録■
但し原稿用紙五枚以内、締切は十二月五日限り採録の分には薄謝を呈す。
文藝戦線社

『文藝戦線 十二月号』/文藝戦線社/1925年12月

 この募集の締め切りは12月5日、「セメント樽」の制作時期は1925年12月4日に「一日平九郎をして木曾で書いた」と本人が書いているので、執筆時期と照らし合わせても、「セメント樽」はこの募集のために書かれ、規定枚数内で、いかに募集要項を忠実に守っているかが解るかと。
 ホント、器用な作家なんですよね。

葉山作品を、もっと気軽に読んで欲しい。

 文学史やプロレタリア運動、とか重く考えず、純粋に作品として楽しんで読んで欲しい。そうはいっても、入口が「プロレタリア文学の二大巨頭」や、教科書で習う「セメント樽の中の手紙」では、気軽にというのはなかなか難しい。

 そんなときに、知り合いの常葉さんが、趣味で文学作品のタイトルをタイポグラフィー風のアート作品にしているのを見せていただきまして。
 「缶バッチや栞、ブックカバーなんかにしたら似合うし、私が欲しい!」 と思いましたし、沢山作品を作っていらっしゃるのに、「何かの形にしたりしないの勿体なくない?」と思いながらも、ポリシーがあって「作家の名前で利益を得たくない」という事なので無理にはすすめられずにいたんです。
 じゃあ、利益が発生しないなら? と私がリクエストした「セメント樽」のアート作品を作っていただくことになりました。

常葉さんに色々と細かい要望に応えていただいて完成した作品。

 ↑これがあまりに良くって、「私だけしか見られないのは勿体ない!」ので、「これを表紙にして作品集を出したい」と打診したところ、「儲け目的ではないなら、出来ることは協力したい」とOKをもらいました。
 元々、常葉さんは私がやっている『考察教室』を読んでくださっていて、印刷代+出店費用以外とってないのは(まあ、500円とかで売ってんだから知り合いじゃなくても利益無いのは想像はつくと思いますが)知ってらっしゃったので、儲け度外視の文学布教に協力していただくことになりました。
 そんなわけで、作品集を出すことになったのは、このタイトルロゴのおかげです。自分でもびっくり。(なので常葉さんの作品布教も兼ねているわけですがw)
 このロゴが表紙なら「知らん作家やけど、なんかカッコイイな」で手にとってもらえるな、と思いました。
 で、せっかく興味を持ってもらっても、中身が旧字旧仮名のままだと「でも難しそうだな……」と思われてしまう。
 だったら、「一言一句イチから新字新仮名で起こして打ちこんだるわ!」ってなりました。(はい、地獄)

 そして、中身パラパラした後、見るところと言えば……そう値段。
 もちろん好きな作家や興味のあるジャンルの本なら、値段見ずに買う人も多いでしょうけど、目的はあくまで、「読んだことのない人に気軽に読めるものとして届ける」なので、500円以上の価格を付けるのは、この本ではありえなかった。(あくまでこの本の話です。今のご時世500円以上の本が当たり前だという事は承知の上で)
 あと、貧しさに苦しんでいた作家の作品集が、値段見て買えんとか何の冗談だよっていうのもありまして。(葉山嘉樹の豪華本とかどっかの出版社が出してくれるっていうなら、それはそれで私は欲しいし買いますけど)
 価格をコンパクトにというのは、気軽に読んで欲しいという目的にも直結します。
 それなら文庫が一番価格が抑えられる。しかも、持ち運びにも便利だからどこでも読めるという機能的な気軽さにもつながる。
 持ち運びというなら、表紙は汚れにくい加工をしたい、強い紙を使いたい、という感じで装丁も決まっていきました。

 色んな作品を知ってほしいけど、あまり分厚くなりすぎると価格が……ということもあり、10作品くらいでワンコイン以下に収まるように、という縛りの中で作品を選ぶのは大変でした。
 全6巻の全集と『葉山嘉樹日記』の中から、短いページ数で、今の人が読んでも共感出来て、泣ける、笑える、考えさせられる、お気に入りの作品が一つは見つかるように、色んなジャンルの作品を選んだつもりです。

 こうして、10作品収録/文庫/170頁/300円、原価299.5円という作品集が誕生しましたw(ここに印刷屋さんから自宅への送料や出店費が乗るので実際は売価超えてますけど)
 布教は自己満足ですからね。赤字とか知らん。私の推しを読んでくれ。

地獄の作業、新字新仮名&校正

 気軽に読んでもらうために決めた、新字新仮名ですが、その作業は全く気軽じゃないわけです。
 何度、初出丸写しにすればよかった……と思ったか。

 初出と初収録単行本を片手に、現代の文章で打ち出していけばいいだけ、というわけではない……。
 まず、単行本が手元にあっても、活版で潰れているところも多いから、結局、国会図書館のデジタルコレクションの画像で拡大して、本当にその漢字なのかを逐一確認する必要がある。
 適当に新字におこす訳ではないので、漢字の意味なども随時調べながらになる。旧字だからと言って任意でなおさない方が良い場合もある。(例えば「言う」「云う」や「食う」「喰う」が同作品内に混在していたりすると、字形の持つ印象で使い分けている可能性が発生するため)
 その判断に全集は参考になるが、すべてを参考にはできない。初出雑誌から単行本になる際に変わった箇所が、前後の文脈から見て誤植と判断できる場合がある。(怒鳴る場面で初出ではセリフの末尾に「!」が使われているのに、単行本では「?」となっているが、全集は作家の生前発行の最新のものを底本にしているため後者を採用している、など)
 初出誌、初単行本、全集を比較検討しながら新字新仮名におこしていく。打ち込み終えたら、それらの三種類に加え、文庫などで流通しているのもに収録のある作品は、ルビや注釈をどうしているかを比較していく。
 校正段階に入ると、本、デジコレ、朗読で何十回と読む。
 その作業は流石に私一人では危険なので、創作仲間の森村直也さんにデジコレと比較しながらの校正協力を、よたく美幸さんには作品の一部を朗読してもらいました。
 自分と違う人によるチェックというのは、自分が気づいたところと森村さんが気づいたところに傾向がみられて、お互いどういうところを取りこぼしやすいか、どういうところを細かく見ているかが解って面白かったです。
 よたくさんに朗読をお願いしたのは、もちろん長時間デジコレ見るのに眼球が限界で……というのもありましたが、耳で聞いたときに気付けることもあるからでした。
 現在、Amazonmusicで聞けるので、皆さまぜひ。

 あと、超個人的に、ずっと朗読やってほしかったんですよね。すごく心地いい声なんですよね。耳通りのいい声。そんな声で感情を乗せず淡々と語られるからこそ、この作品の<現実>が突きつけられて……。
 ほかにも「雑草」「汗と味覚」も読んでくださっています。また読み方が違って面白いので聞いてみてくださいね。
 頑張って作品集出したからこそ、よたくさんに推しの作品を読んでもらえた!やったぜw

 色々大変だったし、全部初めてのことで、地獄もいっぱい見たけど、それ以上に得たものが多かったから、終い良ければ万事ヨシ!

葉山嘉樹を全国につれていくぞ!と走った一年

 まあ、結局は全都道府県というわけではなく、九州沖縄は無理だったわけですが、可能な限り色んな土地で見てもらうぞ!と、薄給の文学貧乏なりに頑張りました。
 元々、文学作品のフィールドワークが趣味で、それを作品にもしている身なので遠征自体は全然苦にはならなかったのですがw

 まず、初売りイベント5月の文学フリマ東京38。
 普段、自作の宣伝さぼりまくりの私が、今年は宣伝とにかく必死に頑張った。よたくさんの朗読や、創作仲間の方の口コミやリポストにめちゃくちゃ助けられました。告知ツイートが2万view超えたのは初めてかもしれない。皆さんのご協力のおかげで、この日だけで『葉山嘉樹作品集』は60冊以上お迎えいただきました。
 あと、後日知ったのですが、イベント当日に拡散力のある方のポストで買いに来てくださった方もいらしたようで、本当にありがたい……。
 私もなるべく買った本は開催中に#買った本タグでつぶやくようにしていますが、その恩恵を受ける側になるとは……感謝してもしきれません。

 その後、6月文学フリマ岩手、7月文学フリマ香川、9月文学フリマ大阪、と走り抜けました。
 地方でも東京ほどではないにしろ、手に取っていただけて嬉しかったです。東京のように慌ただしくなかったので「葉山嘉樹とは……」という説明をゆっくりすることができ、対話から興味を持って買っていただくことができました。
 9月は森村直也さんに委託として文学フリマ札幌にも連れて行ってもらいました!
 北海道の地を踏ませてくださってありがとうございます! そして委託がドセンター配置のレイアウト見て恐縮でした……気を使ってくださって感謝です!
 11月には、ことなり京都という神社の敷地内で行われる同人誌即売会という珍しいイベントの記念すべき第一回に参加しました。小さなイベントでしたが、出展者さんたちとの素敵なご縁があったりで、手に取っていただくことが出来てよかったです。
 また11月は、数年ぶりにコミティアに出店しました!
 イラスト表紙じゃない本は厳しいことは分かっていましたが、「文学フリマ以外の客層にも届ける機会を!」と、出店しました。そしたら、まさかのお客様に拙作をご購入いただき、取り扱っている作品が収録されているという事で『葉山嘉樹作品集』もお迎えいただきました。私の葉山推しトークを笑顔で聞いてくださって嬉しかったです。K先生、その節はありがとうございました!
 12月は再び文学フリマ東京へ。
 流石にいきわたった感もあり、前回のようなことはありませんでしたが、それでも「前回買い逃したので……」とか「最近知って……」という方がお迎え下さり嬉しかったです。そう、前回の東京は建物が分かれていたんですよね。私も向こうの館行ける頃には目当ての本の大半は売り切れてましたし、体力的にも二つの館を行き来するのはキツイものがありました。TRCは思い出もあって少し寂しいですが、ビックサイト開催になって良かったことのひとつですね。

 さて、12月にはもうひとつイベント参加予定が。
 人生初のコミックマーケット出店です!!
 もちろん『葉山嘉樹作品集』を持っていくための出店です!!!!
 国内最大の同人誌即売会! とはいえ、文芸島はそれほどではない……とは聞きますが、それでも「葉山嘉樹をよく知らない」方に見てもらう絶好の機会です。 
 「葉山嘉樹ご存じなんですか?」とか「お好きなんですか?」と(話しかけてよさげな雰囲気の方だったら)お聞きすることもあるのですが、たいていの方は知らない。東京の文学フリマでちらほら「名前や有名な作品は知ってるけど……」という方がいるくらい。「はい、大ファンなんです! 良いですよね、葉山!」という方は、今のところゼロ。
 でも、超絶マニアックな評論とか出しているサークルさんなんか山ほどあるコミケなら、いるかもしれない「葉山嘉樹の有名じゃない作品も読みたかったんだよね」って方が。
 そして、「なんか表紙が良かったし安かったから買ってみたら、この作家めっちゃ凄いやん!」って興味を持ってくださる方がいるかもしれない。
 そんな希望が少しでもあるなら、往復約900㎞の運転も、年末の繁忙期抜ける背徳感もなんのそのです。(いや、勤続10年で初の年末休みなんだから許されてくれ)

 そんなわけで、5月から駆け抜けてきた葉山嘉樹の推し活の集大成として、

コミックマーケット105 2日目12月30日
西【お-06a】HPJ+S.Y.S. 
でお待ちしております!!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集