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(詩)スヌーズボタン

スヌーズボタン 


       薄暗い霧の奥から
      音が聞こえてくる
     ずっと遠くから響いてくる
    雷鳴のような
   激流の轟きのような
  微かな音
 だがそれは次第にボリュームを増して
目覚まし時計のアラーム音に変わる

朦朧とした意識の中で
目を閉じたまま
枕元の時計に手を伸ばし
スヌーズボタンを押す

あと一〇分

月曜の朝
目を開けなくても時刻は分かっている
まだ起きる気にはなれない
でも意識は半分目覚めてしまった

満員の通勤電車
不機嫌な上司
終わりのない業務
これから始まる
いつもと変わらぬ一週間を思うと
こめかみが痛みだす

右隣の部屋から
壁越しに聞こえてくるのは
子どもの泣き声と
母親(だろうか)の怒鳴り声

寺院の鐘のように
平日の朝 決まった時刻に
規則正しく聞こえてくる騒音ノイズ
だが生きた喉から絞り出されるからこそ
その叫びは毎回 心に深く刺さる

再びアラームが鳴る
うるさい蠅を叩き潰すように
スヌーズボタンを押す

もう一〇分だけ

左隣の老人は耳が遠い
テレビニュースの音が
ここまで漏れてくる
その内容までは聞き取れないが
何を言っているのか大方想像はつく

今日の関東地方は晴れ
気温と物価と自殺件数は上昇中
地球の裏側では
建物が
戦車が
子どもが
燃えている
女たちが叫んでいる

どこか遠くで救急車の音がする

三たびアラームが鳴り
スヌーズボタンを押す
時計はおとなしく沈黙した

だが世界は黙ろうとしない

壊れた世界のベルが
雷鳴のように
あるいは激流の轟きのように
あらゆる周波数で鳴り続け
神経を苛む

でも
この世界には
スヌーズボタンが
ない

できることはただ
痛む心を麻痺させて
しばし耳を塞ぐこと

人類の危機を
一〇分先送りしたまま
咆哮する世界の中心で
ぼくは二度寝する

だが薄れゆく意識の
 底の底では分かっていた
  世界が鳴り続けているのは
   ぼくらを叩き起こすため
    ぼくらが目覚め
     行動を起こすまで
      鳴り止むことは
       決してないのだと

(MY DEAR 312号投稿作)

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