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(詩)ホテル・カリフォルニア再訪

ホテル・カリフォルニア再訪 

長い一日の終わりに
ようやく訪れた独りの時間
自宅のステレオの電源を入れる
近所に音が漏れないように
ヘッドフォンを装着し
CDラックの奥から一枚を取り出す
ディスクをプレーヤーにセットすると
目を閉じて疲れた身体をソファに預ける
 
ヘッドフォンから流れるのは
昔よく聴いた十二弦ギターのイントロ
いつ聴いても新鮮だが
同時に懐かしい音楽だ

心地よいサウンドに耳を傾けながら
目を開け 身を起こして
一枚のシングルレコードを
くたびれた通勤鞄から取り出す
その古いドーナツ盤は
ぼくを過ぎ去りし日々へといざなった



一九八〇年代初頭のある日
照りつける真夏の太陽の下
中学生のぼくは
街のレコード屋の前に立っていた
しばしの逡巡の後
意を決して足を踏み入れる

ドアを開けると
そこは音楽のワンダーランドだった
冷房の効いた店内には
賑やかな流行歌が流れ
さまざまなジャンルのレコードが
所狭しと並んでいる

アイドルや演歌のコーナーには目もくれず
洋楽のセクションを探す

当時テレビで流行りの歌番組に
興味が持てなかったぼくは
偶然ラジオで耳にした
英語の歌に心を惹かれた
そこでレコードが欲しくなり
生まれて初めてレコード屋に向かったのだ

アルバムを買う金はない
ポケットの中の所持金では
シングル一枚を買うのが精一杯だ
何を買うべきか
慎重に選ばなければならない

洋楽シングルの棚の前に立つと
期待と緊張に胸を高鳴らせながら
一枚一枚レコードを吟味していった

レコードを繰る手がはたと止まり
一枚のシングルに
ぼくの目は釘づけになった

白地のジャケットに
青いネオンサインを模したタイトルが
英語で書かれている
そしてその上には日本語で
タイトルと演奏者名が印刷されていた

 ホテル・カリフォルニア
 歌・演奏/イーグルス

歌もグループもまったく知らなかったが
なぜかぼくは強く心を惹かれた
値段は六〇〇円
これなら買える

ぼくはレコードを棚から抜き取ると
胸を高鳴らせながらレジへ向かい
ズボンのポケットから
百円玉と五百円札を引っ張り出した

自分の小遣いで買った
初めてのレコードだった



はやる心を抑えながら
たどり着いた我が家は
カリフォルニアとは縁もゆかりもない
日本の小都市のウサギ小屋だった

父親のレコードプレーヤーに
ドーナツ盤をセットし
回転数を四五に合わせる
モーターがかすかな唸り声を上げ
レコードが回転し始めると
その黒い円盤の縁に
慎重に針を落とす

イントロのギターが鳴った瞬間
期待とはまったく違う音楽に驚いた
カリフォルニアというタイトルからは
もっと明るく楽天的なサウンドを想像していた
だが実際にスピーカーから流れてきたのは
何とも言えない哀愁を帯びた音楽だった

中学生の耳には
英語の歌詞もよく聞き取れない
タイトルの「ホテル・カリフォルニア」が
サビで繰り返されるのが分かる程度だ
それに当時の一般的な流行歌と比べて
曲が異常に長かった

後半の長い長いギターソロが
フェードアウトした時
ぼくは放心状態だった
ずいぶん時間が経ってから
再生が終わったレコード針の立てる
ぷつぷつというノイズで
ようやく我に返った

何が何だか分からないけれども
とにかく凄いものを聴いたと思った
当時知っていた流行歌とは
まったく違う音楽だ

ぼくはその虜になった



その夏じゅう
ぼくは「ホテル・カリフォルニア」を
毎日聴いた

持っていたレコードが
その一枚だけということもあった
しかしB面の曲もかけてみたが
タイトル曲ほど印象には残らなかった

レコードのライナーノーツには
英語の歌詞も印刷されていたが
訳はついていなかったので
辞書を引き引き訳してみた
だが当時の語学力ではとても歯が立たず
ほどなく挫折した

しかし その印象的なリズムとメロディには
麻薬のような中毒性があった



それから洋楽を聴き始め
やがて自分のプレーヤーを手に入れた
小遣いを貯めてはレコードを買い
いろいろな音楽との出会いがあったが
いつも戻ってきたのは
「ホテル・カリフォルニア」だった

もちろんイーグルスの他の曲も聴いたし
この曲が収録されている
同名のアルバムも買った
けれども結局いつも聴いていたのは
A面冒頭に収められたタイトル曲だった

英語がそこそこ上達すると
歌詞の意味がだんだん理解できるようになり
ストーリーを思い浮かべながら聴くと
さらに曲の味わいが増した

それでも

 空気を通って立ち上る
 コリタスの温かい匂い

とドン・ヘンリーがハスキーな声で歌う
そのコリタスが何なのかだけは
持っていた辞書を引いても分からず
その単語の下に青鉛筆で線を引いた

ぼくはコリタスの意味を知らないまま
砂漠のエキゾチックな花の
甘い香りを漠然と想像しつつ
歌の世界の中に入っていった



砂漠の中をどこまでも伸びるハイウェイ
疲れた旅人が一夜の宿を探している
空腹と疲労で霞む視界の彼方に
かすかに揺らめく灯が見える

たどり着いたのは
一軒の古びたホテル
彼はそこに滞在することにする
そこには亡霊のような声がこだましていた

 ホテル・カリフォルニアへようこそ
 ここは素晴らしいところ
 ホテル・カリフォルニアには客室がたくさん
 一年中いつでも お泊りいただけます

旅人がホテルで出会ったのは
贅沢に溺れ
うつろな目でパーティーに集う
スピリットを失った人々の群れだった

なんとか抜け出そうとする旅人は
諦めるようにと諭される
ここはチェックアウトはできても
決して立ち去ることはできないのだからと



あれから月日は流れ
一枚のレコードに胸を躍らせ
遠い異国を夢見た青臭い日々は去った

夢と希望のバブルは弾け
会社という巨獣に魂を売り渡し
プログラムされた毎日を生きる
(この獣はナイフで刺しても決して死なない)

音楽メディアもCDが主流となり
アナログプレーヤーが壊れたのを機に
持っていたレコード類も売ってしまった
「ホテル・カリフォルニア」のシングルも
LP共々手放して
CDのアルバムに買い替えたが
それを聴くことは滅多になくなった
あんなに好きだったあの曲を

さらに時代は変わり
物理的なディスクは不要になった
きょうびではサイバースペースに浮遊する
無形のデジタル情報が音楽と呼ばれている

だが時代の移り変わりに
ついていくのはもう疲れた
人生の長い長いハイウェイを歩くうちに
ぼくはすっかり年老いてしまった



今日の昼休み
職場近くで空いている食堂を探しながら
かわき切った街を歩いていると
小さな中古レコード屋を見つけた
冷やかしのつもりで足を踏み入れると
棚にはアナログレコードがぎっしり並んでいる
懐かしさが胸に溢れ
色とりどりのジャケットを眺めていった

すると一枚のレコードに
目が吸い寄せられた
「ホテル・カリフォルニア」のシングル盤だ
白いジャケットがやや黄ばんではいるものの
昔持っていたのと同じ あのデザインだった
気がつくとぼくはそのレコードを持って
レジに向かっていた

家に持ち帰っても再生装置はない
ただそのレコードを
モノとして手元に置いておきたい
そんなノスタルジアからの
大人の無駄遣いだった

ランチのことはすっかり忘れていた



そして今 ぼくは自室で
今日買ってきたばかりの中古盤を手に
「ホテル・カリフォルニア」を聴いている

ヘッドフォンから流れるのは
リマスターされたCDのクリアなサウンドだ
だがこの古いアナログ盤を眺めながら聴いていると
そこにないはずの針音が聞こえてくる
若いころ何百回と聴いたレコードの
ぱちぱちというスクラッチノイズが
細かい気泡のように脳内ではぜている

何気なく
レコードのジャケットを
ビニールのカバーから取り出して
裏面のライナーノーツを見ると
歌詞の「コリタス」の下には
青鉛筆の線が引かれていた

ライナーノーツを持つ手が震え
目眩のような感覚に襲われた
その古びた紙片から
コリタスの匂いが
立ち上ってくるようだった

この自分もまた
いくらチェックアウトしても
永遠に立ち去ることのできない一人なのか
だがこれが地獄なのか天国なのか
だれが教えてくれるのだろう

カリフォルニアとは縁もゆかりもない
日本の都会の片隅の
古いアパートの一室で
長い長いギターソロを聴きながら思った

今度の休みには
レコードプレーヤーを買いに行こう


 ホテル・カリフォルニアへようこそ
 ここは 素晴らしいところ

(MY DEAR 314号投稿作)


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