つくる自由と、たべる自由

夕ごはんを作りながら、ふとこの言葉が浮かんだ。


今夜は、ズッキーニを乗せたミートソースドリア。ごはんは茹でた玄米。

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月曜日に、ひき肉が20%引きだったのと、デルモンテのテトラパック入りカットトマトが安売りされていたのを見て、心に浮かんだ献立。

先週買ったズッキーニがあるから、それをのせよう、賞味期限ギリギリの牛乳も残っているから使ってしまおう

そんな感じで、構築されていく。


ホワイトソースは、手作りルーのストックがあるから楽勝かと思いきや、とろみがつくまで思いのほか時間がかかってしまった。

ミートソースはだいぶ手抜きをしたけど、玉ねぎとにんじんをみじんにしてじっくり炒め、ひき肉はかたまりのまま焼き色を付けて…と手順を踏むと、それなりに時間がかかる。


でも、ミートソースにちょっとシナモン加えちゃおう、とか、ズッキーニは少し厚めにしよう、とか、「どうつくるか」の自由度は高い。

そもそも、こんな真夏にドリアをつくる、なんて酔狂がゆるされてしまう。

ミートソースとホワイトソースが混じり合った味は、ほんとうに幸せな味。

つくる自由って、すばらしい。


さて、ドリアに力を注ぎ過ぎて、普段は添える汁ものをつくる気力がなくなってしまった。ところが、冷蔵庫の中でアボカドがやわやわになっていることに気付き、慌ててたべることに。

ズッキーニの緑に、アボカドの緑。彩りは完全に無視。他のお野菜と組み合わせるのも面倒で、わさびを添えてお醤油をかけておしまい。

そんな行き当たりばったりで怠惰なたべかたも、ゆるされる。

たべる自由、万歳だな。



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