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北極星を教えて。

ーーーー自分の幸せの定義がわからないから、
なんでもほしくなっちゃってつらいんじゃない?
方位指針も北がわかんないと道がわかんないでしょ?
今、君は北がわかんないまま進んじゃってるからつらいんだよ

居酒屋でお友達に言われて、ふと自分のことを思い直してしまった

不安になることがある。
別になにか大きな問題があるわけじゃないのに、
ふとこのままでいいのかって思うことがある。
一度不安になるとそこからどんどん抜け出せなくなる。
息がしにくい。

いつも頑張っているつもりだ
仕事も、恋愛もお友達との関係もちゃんと向き合って大切に扱ってきたつもりだった。問題もない

けれど

どうしようもなくつらくなってしまい、居酒屋でお友達に愚痴をこぼしてしまったのだ
お酒の席で軽い気持ちでいった不満は友だちの正論によって、形になって自分に重くのしかかる

今、自分の北がわからない

方位磁針ができるもっと前、昔の人は道に迷ったとき、北極星を道標にしたという。
今を生きる私たちには、googlemapもあるから道に迷うこともないし、そもそも星は見えない

夜はいつでも明るいくてネオンの街並みはひとつひとつが星のようにいつもきれいだ、暗闇はない
でも暗闇がない分、いくつも正解があるように見えて迷ってしまう


なんでも見つかりやすくなってしまった今の世の中でわたしたちは自分で"どう生きたいのか"という道標見つけて生きていかなくちゃいけない
それはどんな形でもよくて「人にやさしい」でも「節約をする」でも本当になんでもいいのだと思う。
道標はなにか名前のつくものでなくても問題はない

ーー「何になりたい?」って質問じゃ「何かになる」っていう前提があったの質問ですからね
ーーそう。「何になりたい?という質問に答えなけらばならない」といった考え方が、知らず知らず多くの人を縛り付けているようにみえます。
ですから私は先程、「そもそも何者にもならなくていい」とお話したのです。

地平線を追いかけて、満員電車を降りてみた


自分はずっと「誰かのなにか」になりたくてつらかったのかもしれない
これを書いている今もたぶんそう

ただ、なにものにもなれない自分を否定したり嫌になる必要はなくて、自分の中で”これをしている自分が好き”といった絶対的ななにかがあれがそれで幸せなのかもしれない

友だちに言われた「幸せの定義」は自分なりのものがまだ見つからない
ただ、”なにものにもならなくていい自分"と向き合うのはだいぶ心が楽で、これからゆっくり自分だけの北極星を見つけていきたい。


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