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夏目漱石『夢十夜』を国語の授業風に読む #1 範読 (全5回) 読むシリーズ第2弾

 このシリーズでは、国語の授業のように丁寧に作品を読み深めながら、1人で読書しただけでは気づかない作品の良さを知ることを目指しています。授業風ということもあり、長さは適量でカットし、深めたい人は参考文献を見てさらに深めてほしいという形をとりますので、物足りなさを感じたらぜひ参考文献類も確認してみてください。
 『夢十夜』は夏目漱石の新聞連載小説の1つです。夏目漱石の作品はたくさんありますが、1907年に朝日新聞の専属作家となり、『虞美人草』、「坑夫」、『夢十夜』といった連載初期の作品群を著します。それだけではなく、前期三部作(『三四郎』、『それから』、『門』)や後期三部作(『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』)といった漱石の代表作全てが連載小説であり、専属作家への転身は漱石の作家生活に大きな影響を与えます。
 『夢十夜』は教科書に採用されている文章ですが、『こころ』や『私の個人主義』に比べるとそこまで触れられることは多くないので、今回あえて取り上げることにしました。
テキストについては、『夏目漱石全集』や各種文庫もあり、また青空文庫(https://www.aozora.gr.jp)でも読むことができますが、そこまで長くないので記事に掲載することにします。
 今回は範読ということで、まずは作品の全体像を簡単に捉えていきたいと思います。国語の授業の裏側みたいな話を少しすると、国語の授業では三読法と呼ばれる指導法での授業展開が主流となっています。①範読、②精読、③味読という三段階です。これを少し発展させて、①構造よみ、②形象よみ、③吟味よみという名前で指導している学校もあります。呼称は何であれ、①の段階は初めて作品に触れる段階であり、全体像を大まかに捉える読み方と言えます。②の段階でより詳細に文章を読み取っていき、③の段階では作品を読んだ総括をするために再度読み直すといった認識で間違いはありません。②や③についてはその段階になってからもう少し細かく見ていきたいと思います。
 では早速、①範読を行っていきます。①範読では、大まかな内容を捉えるということですが、具体的にはどう捉えていくかと言えば、定番の読み方は起承転結の4つに分けて理解するというものがあります。他にも導入部、展開部、山場の部、終結部という形で、起承転結という漢詩由来の段落わけではうまくいかないという場合の呼称もあります。なんにせよ、文章全体を(ア)物語の時代・登場人物・場面・事件設定などを説明する部分、(イ)事件が始まり物語が展開する部分、(ウ)物語がさらに深まり、一番盛り上がる部分、事件の決着がつく部分、(エ)事件の決着がついた後のまとめ、あとばなし、教訓などが書かれる部分の4つに分けると考えてもらえれば問題はありません。

課題1
テキストを読みながら、第一夜の文章全体の構成を考えてみましょう。

テキスト(❶〜⓬は段落番号です。)
『夢十夜』第一夜
夏目漱石
❶こんな夢を見た。
❷腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。到底死にそうには見えない。然し女は静かな色で、もう死にますと判然【はっきり】云った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込む様にして聞いてみた。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫【まつげ】に包まれた中は、只一面に真黒であった。その真黒な眸【ひとみ】の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。
❸自分は透き徹る程深く見えるこの黒眼の色沢【つや】を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、と又聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに睜【みはっ】たまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
❹じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
❺しばらくして、女が又こう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の欠片【かけ】を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。又逢いに来ますから」
自分は、何時逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それから又出るでしょう、そうして又沈むでしょう。  赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、  あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯【うなずい】た。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切た声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分は只待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱した様に、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。  もう死んでいた。
❻自分はそれから庭へと下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭どい貝であった。土をすくう度に、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛ける毎【たび】に真珠貝の裏に月の光が差した。
❼それから星の欠片の落ちたのを拾ってきて、かろく土の上へ乗せた。星の欠片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角がとれて滑らかになったんだろうと思った。抱きあげて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。
❽自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それが又女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。
❾しばらくすると又唐紅【からくれない】の天道がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つと又勘定した。
➓自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつか見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせない程赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。
⓫すると石の下から斜【はす】に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなって丁度自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾【かたぶ】けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと瓣【はなびら】を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹【こた】える程匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花瓣【はなびら】に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
⓬「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気が付いた。
(テキストは新潮文庫、岩波書店及び筑摩書房の全集を参考にした)

語句リスト
・暁 「夜明け」の意の雅語的表現。明け方。
・…(した)拍子に …したはずみに。…した折に。…した途端に。…した機会に。
・接吻 唇を相手の唇や頬・手などにつけること。キス。口づけ。
・滴る【したたる】 液状のものがしずくとなって垂れ落ちる。
・斜に【はすに】 「ななめ」のやや砕けた表現。
・勘定 金高や数を計算すること。いくつあるか数をかぞえること。
・ねんごろに 心を込めて親切に。親切で丁寧に。
・とうてい…ない どうしても…ない。とても…ない。(手段を尽くしても実現はあり得ない)
・…がさす そこに無い物を加え入れる。加える。色をつける。

―――
解説
導入部  ❶こんな夢を見た。
展開部  ❷腕組をして枕元に坐っていると、〜
山場の部 ❽自分は苔の上に坐った〜
⓫すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た〜
終結部 なし

前回の「狐憑」と比べて構造が特殊であるため少し難しく感じたかもしれません。①範読では文章全体の構成を意識することが大事であり、複雑な構造の文章ほど全体の構成を意識することで見えて来ることも多くあります。
早速解説になりますが、導入部は(ア)物語の時代・登場人物・場面・事件設定などを説明する部分でした。今回の場合、「夢」の中の物語という設定を明示することで示されているので、❶段落のみが「夢」の中の物語ではないので唯一の導入部となります。

次に、展開部ですが、展開部は(イ)事件が始まり物語が展開する部分です。今回の事件の中心的な人物である主人公と女は❷段落で登場するため、❷段落からというのは理解しやすいです。問題はどこまでを展開部とするかです。この作品の文章構成の複雑さはここにあります。言い換えれば、盛り上がる部分が2つあるような構成になっていて、どちらに重きを置くか、さらには百年という大きな時間のスパンがある❽〜➓段落をどのように捉えるかという点にあります。この作品において、(1)女の死、(2)百年の経過という2つの盛り上がりがあります。どちらが中心かと言えば、(1)が起きたことで(2)の盛り上がりできるため、事件の中心は(2)ということになります。言い換えると、女が死ぬか生きるかという対立が決し、次に女は百年後現れるか、現れないかという新しい事件を生み出しているので、女の死よりも百年経過して現れるか、現れないかが事件の中心となっているということです。そう考えると、⓫〜⓬段落が一番盛り上がる部分となるため山場の部ということが確定します。
問題はどこから山場の部となるかという点です。山場の部は(ウ)物語がさらに深まり、一番盛り上がる部分、事件の決着がつく部分ですが、問題の中心は「物語がさらに深まる」という観点をどうするかということになります。

(1)女の死の事件自体は❼段落の女の埋葬の完了により終わり、❽段落から(2)百年の経過の事件が始まると考えることができます。この説の良い点は❽〜➓段落の説明的な文体との整合性が高いという点です。特に➓段落は百年という長い時間の経過があり、説明的な文体と言えますが、これにより⓫段落以降の描写性の高さとの対比により⓫段落以降の盛り上がりが際立ちます。そのため、そのような盛り上がりの始まりは❽段落からと考えることができます。この説だと展開部は❷〜❼段落、山場の部は❽〜⓬段落ということになります。
 それに対し、⓫〜⓬段落を山場の部とする説も考えられます。百年が経過したことを中心とした説で、要は❽〜➓段落は百年経過する以前と捉え、⓫段落になって百年が経過したのだから(2)の事件は⓫段落から始まると捉えるものです。この説の場合、展開部は❷〜➓段落、山場の部は⓫〜⓬段落ということになります。

このような文章構成を把握することで大事なのは全体を俯瞰的に捉えるという姿勢と、理由づけを丁寧に行う姿勢なので、理由さえ提示できていればどちらの説でも問題はありません。

最後に終結部ですが、(エ)事件の決着がついた後のまとめ、あとばなし、教訓などが書かれる部分という部分はこの作品にはないので、今回はなしという形になります。こういうまとめがないタイプの作品としては、中島敦『山月記』や菊池寛「形」などがあり珍しいわけではありません。古文であればもっと多く、要は読者自身でまとめて、教訓を描き出すという形をとった作品と言えます。

以上までをまとめると、『夢十夜』第一夜の文章構成は次のようになります。

文体の対比を重視する説
導入部  ❶こんな夢を見た。
展開部  ❷腕組をして枕元に坐っていると、〜❼少し暖かくなった。
山場の部 ❽自分は苔の上に坐った〜⓬この時始めて気が付いた。
終結部 なし

百年経過したという事実を重視する説
導入部  ❶こんな夢を見た。
展開部  ❷腕組をして枕元に坐っていると、〜➓なかろうかと思い出した。
山場の部 ⓫すると石の下から〜⓬この時始めて気が付いた。
終結部 なし

最後に、簡単に感想をまとめておき、次回以降に備えましょう。ということで、宿題代わりに課題2を提示しておきます。それでは皆さん、お疲れ様でした。次回の更新は8月18日(水)の予定です。

課題2
初読の感想 理由もしっかり書くことを忘れずに。
感想を書くヒント(「面白かった」以外の感想が思いつかなかった人向け)
何人称小説? 二人の人物の会話の特徴は? どんな情景を思い浮かべたか? 印象に残った言葉は?

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