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古典の雑話#3 文法・知識重視の理由

 古典の雑話はいよいよ3回目なので、そろそろ古典嫌いを少しでも無くすために問題の核心に迫っていきたいと思います。

 小学生・中学生でも古典教材を扱うことはありませんが、基本的には最低限の単語の知識さえあれば現代語訳が付いているという前提で高校入試等の試験問題は作られているためそこまで難易度は高くなく、むしろ内容を理解しきることが重視され、読解力の問題となっていることが多いです。

 そのため、実際そこまで古典に対する認識が強くなく、高校生の時に触れた古典に比べても比重が少なく感じている人がほとんどだと思います。実際、小中での古典の比重はかなり少なく、国語全体から見ればわずかと言って差し支えないレベルです。つまり、古典嫌いが生まれるほど接していないとも言えます。だからこそ、話題の中心は高校生での古典学習を取り上げざるを得ないのです。

 遠回りをしましたが、要は高校古典の授業で授業スタイルが一変し、古典嫌いが増加するとも言えるわけです。スタイルが一変するのは当たり前で、今まで1単元だった古典が科目として昇格しており、時間割のコマとして毎週組み込まれているわけですから、当然ながら内容を変えないと深みのない授業になってしまう恐れが出てきます。「深み」とは何かといえば複雑な話にはなってきますが、簡単に言えば日本という国に生まれ育った人であれば知っておくべき伝統・文化について理解し、生涯を通して触れることができるような知識・技能や態度といったものの総体としておきましょう。もっと簡単に言えば、古典を読みたいなあという気持ちが起こった時に古典をとりあえず読んで理解できるような人になるといった理想がイメージとして近いと思います。古典を読みたいという理由は多岐にわたるので、これについてはまた次回以降に触れたいと思いますが、小中と違って古典を理解するという段階まで要求されるため、文法や知識なども多く求められることになります。英語でも文法や語彙力が最低限ないと文章読解ができませんが、それと全く同じような現象と言えます。

 国語なのに、、、と思った人は実は現代文についても要注意だったりします。高校生の国語で扱う現代文は小中とは異なり、単純に文章の文字を追えれば良いということにはなりません。なぜなら、読む教材がそもそも大学生や社会に出た大人が読んでも楽しめるような高度なものが多くなっているからです。つまり、現代文でも実際は高い知識レベルが求められているのに、それに見合った知識を付けていないと文章を理解した気で終わってしまい、実際は全く理解しきれていないという状態になります。結果、テストはもちろんこと模試や応用力が求められる問題で詰まってしまうという悪循環のスパイラルに陥ってしまいます。

 現代文でも知識が必要ならば、当然内容が増加した古典では一層知識が必要になるというのは必然と言えます。だからと言って、実際現場での指導では「必然」を超えてやや過度に古典文法が教え込まれてしまう傾向が強いのは実際のことだと思いますし、これが古典嫌いの一因になっているのは事実だと思います。

 では、どうして古典文法が過度に教え込まれてしまうのでしょうか。もっと丁寧に言えば文法が先行的に教えられて実際の文章での体験が後になりやすいのはなぜなのでしょうか。

 理由は多岐にわたると思いますが、まず1番大きいのは大学受験が関係してくると思います。高校1年生においても、英国数の3教科は模試を受験するためどうしても大学受験を意識せざる得ない教科です。つまり、常に大学入試あるいは大学受験という四字熟語はカリキュラムを組む上でも外せないわけです。そうなった時に、最初の模試の試験範囲までに当然試験範囲の内容を扱っていないといけないわけですが、の模試では文法に関する問題が大半を占めます。これは教科書によって読んでいる文章や扱っている知識が異なるため差をなくす工夫なのですが、文法偏重教育の一翼を担ってしまっていると言えます。その後も大学入試では文法と知識は必ず聞かれるため、常に文法や知識を忘れさせないという意識が教員の方にも高まり、そちらに時間を割きたいという気持ちが強まるのは事実です。大学受験を意識するからこそ文法や知識を重視した古典教育が生まれやすいのです。

 2つ目の大きな理由としてはまとめて文法を扱った方が指導しやすいというのがあると思います。板書案を作成しやすく、指導の漏れも防ぐことができるという意味で、一気に全ての文法を教えてしまった方が楽という傾向があります。実際、古典文法は現代語の文法に比べても正格活用(四段活用、上一段活用、上二段活用、下一段活用、下二段活用)に加えて、変格活用(カ行変格活用、サ行変格活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用)と既に基本部分で9種類の活用を覚えさせる必要があり、さらに四段活用動詞以外には暗記しなければならない動詞が存在するため、導入部で既に知識の洪水状態になっているのです。それもあって、教えている側もバラバラに指導しているとどこまで教えて、教えていなかったかが曖昧になりやすいです。

 さらに、カリキュラムを年度始めにほぼ組めているとはいえ、実際に授業する中で理解度や反応によっては予定よりも指導に時間がかかり、計画通り行かないということは日常茶飯事なので、年間計画の中で散りばめて文法を指導することになると模試対策の問題にも関与し、計画がずれによって色々問題が出やすくなるというのが古典の文法指導の根幹に存在します。その結果、安全のために文章に入る前に文法指導を終わらせて演習問題を解かせるという導入を4月・5月で扱うことが多くなります。そうすると、自然と中間考査の試験範囲の主が文法になりやすく、暗記が得意な人が点数を取り、苦手な人が苦戦してしまいます。結果、自分は理系だから古典は要らないという方向に駆け出しやすいと思います。個人的には理系に進むこと自体は賛成ですが、前向きな理由で理系を選択してほしいというのが真実です。

 長くなってしまいましたが、色々な理由によりとにかく古典文法が導入で使われやすい状況にあり、最初の定期考査の成績の差が暗記力の差になってしまうことがほとんどなのです。そうなってしまうと、やはり不利有利を押し付けることになり、古典嫌いになってしまうのは仕方がない状況にあると言えます。では、少しでも暗記が苦手な人が暗記をこなしつつ、古典に魅力を見出すにはどうしたら良いのでしょうか。

 一つの手段としてはやはり理由を付けるといった論理的な思考を伴った理解をしていくというのがあります。理由もなく覚えるのは瞬間記憶が得意な人、もっと専門的に言えば記憶のチャンクが多い人が優位になるだけなので、覚えられない人が悪いとは言えないのです。ただ記憶には他にも種類があるわけであり、覚え方も様々あるわけですし、同じ手を取る必要はないのです。1つの打開策として1つ1つに理由をつけていくという手があります。

少し長くなってしまったので、次回は理由を付ける覚え方など少しでも古典に対する苦手意識を減らす具体的な方法について少し話をしていきたいと思います。

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