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「社会常識・モラル・マナー大量創作社会」到来?? に思う・・・あの、親は? 親友は? 兄妹は? 親族は?

おはようございます。ササキミナコです。

アタシの横須賀時代からの30年来の腐れ縁(苦笑)KOBAさんじゃありませんが、アタシも日が開いちゃいまして・・・。

KOBAさんと期を一にする企図は毛頭無かったのですが、アタシも先週、新居に移りました。

4年間数多くの素晴らしい思い出をもたらしてくれ、お世話になった新宿区西新宿・渋谷区初台や本町、幡ヶ谷、そして中野区の本町界隈、一生忘れません。沢山のいい思い出をありがとうございました。これからも是非とも足を運びます。

そこまで書くなら、西新宿から離れるんじゃねえよ? って?? 

いやいや。2年前まで在籍していた会社のオフィスが西新宿(徒歩15分)でして・・・。当時あまりに忙しく、急遽徒歩圏内で探したマンションが前物件。

その後痛恨の極み、無念の転職劇(笑)から、オフィスは銀座(たまに汐留)。

転職しても、多忙なことには変化まったくなし。

新宿勤務時代とまた同じような雲行きになってきたのと、業容拡大(笑)で手狭になってきたので、転居しただけのことです。

流石に銀座、隣の築地あたりにマンション買えるほど稼いでないし、隅田川を渡った勝どき・月島・晴海、そしてあの豊洲でも良かったんですけど、掘り出し物的物件がなく、あっても抽選だったり。そこに会社の物件とローン組めコンチョクショウ(笑)的斡旋が・・・。

まあ、プライベートな話はこの辺にて。本題はそこじゃない(書き込まなかった言い訳を・・・いやいや、引越時期をずらすと今年もまた大量の引越難民発生の時期になだれ込みますので、安い料金でっていうとこの寒い時期にせざるを得なかったんです。いやいや)

先週の週刊新潮の

「バカッター」
「バイトテロ」

への考察記事。

※当該号(先週号)の「日本人が道徳を失った「バカ店員動画」への溜息」という記事なのですが、デイリー新潮への転載は現時点でなされずのようです。デイリー新潮に転載され次第、URL加筆します

この記事にも、やっぱり出ていた

中川淳一郎


さん・・・

それはさておき。

「流石オッサン老害昭和な週刊誌週刊新潮(もしくはマスゴミ)! 毎度毎度のマウンティング的言及論考ぶり・言ってること完全に外してるな!」

的感想では決してなく、同感するほかないのですが、確かに週刊新潮かライバル誌の週刊文春でしかあり得ない有り体な論評で、何か掘り下げ足りないなあと。

ここにあの

「ゆとり教育」

の是非(というか痛烈な批判)を持ってきたのは、見事ですけどねえ。

「ゆとり教育の害の最たるものは、大人が『何をしてはならない』かを教えてこなかったからである」

まぁ、総論としては、そうなるとは思うのですが・・・。ここで出てくるベネティクト

「菊と刀」

菊と刀 (ルース・ベネティクト/講談社学術文庫) (Amazonへリンクします。アフィリエイトではありません

も、ゆとり教育(少なくとも6・3・3制の範疇)では教えないでしょうし・・・。ちなみに、アタシのバカ亭主(笑)

のすすめで9年くらい前に読んだかと思いますけど・・・必読です<「菊と刀」(「あの低能バカのササキが勧めるわけがない!」と仰るのなら、Twitterにログインし「菊と刀 from:taikisasaki」で検索してみてくださいね。ハイ論破^^

この記事で気になった点。

そもそもマナーやモラル、社会常識を主体的に教えるのは、学校現場なのか? 「バカッター」「バイトテロ」が続発するのは文科省やその文科省がリーダシップを取り作成する学習指導要領、そして都道府県教委や市区町村教委が現場に下す指導カリキュラム・・・要は「ゆとり教育」が最大の悪であったという話でしょうか?

あの・・・無論、公教育における社会常識・マナー・モラル・そして道徳心や公共心の育成や養育の役割って、国語算数理科社会に英語を教えるのと両輪を為すレベルで重要な事です。

でも、

「学校教育だけが悪ですか? 」

と。

学校教育が悪だから、学校からかれこれ35年近くもいじめがなくならないのか? 今どき、スマホの持ち込みの是非でネットが盛り上がるような

「惨状」

cf.↓

なのか? 

PTAの役員が給食費集金の結果をExcelに打ち込むと

「わけの分からないアプリ使わないでよ!」

と他の役員から嫉妬を買うのか? 

これら、旧態依然、軍隊体質の日本の公立小中学校の体質に責任が全くないとは言いません。

しかしこれら、学校だけに責がある話ではない。いや、責を負わせてなりません。きわめて重要なのは養育義務がある親であり、親の子育てです。

そして(戦前の「家制度」「家長制」やその回帰には一切賛同しませんけれど)兄妹や祖父母といった家族、そして、親戚親族。といった、血縁。

その次が、主に親の公園デビューや三輪車で3軒先のタイキ君の家におままごとしに行く・・・そんなごくごく狭い範囲から始まる、地縁。すなわち地域コミュニティ、拡大解釈すれば社会のはずです。

学校や公教育だけに責任をなすりつける様な論調だけには賛同いたしかねます。

あえて、当該記事をなぞって言うのであれば、このバカッターやバイトテロに加担してしまう子の親、恐らくアタシの世代やその前後の世代の親。

家庭、親族、そして社会・・・ロクに子どもたちにこれら(社会常識やマナー・モラル)を教えてこなかった証左のようなものでしょう。

色々、思い当たる節はあるのでは? 我々が高校~大学あたりに出現したインターネットという怪物。我々世代って、

「イケメンマッチ(近藤真彦さんの画像)」
「見るだけで癒やされるペルシャの子猫画像」

とかを集めたり、マッチファンとTeacup BBSで盛り上がる(笑)くらいにしか使わず、友達との連絡手段にメールやインスタントメッセンジャー・・・。

その程度にしか解釈せず、使ってこなかったでしょう。

すさまじい社会変革をもたらすツール
一大商機となり得るビジネスツール
メディアやコミュニケーションに革命が到来する

みたいに解釈していた我々同世代が、どれだけいたものでしょうか?

アタシが声高に言ったところで

「なんか、ネットみたいなただの暇つぶしの道具にみなちゃんムキになっちゃって(笑)」

とかで一笑に付されて終わり。そんな感じです。

ネットがいくら強烈な勢いで社会に普及し浸透しようとも、日本の公教育が「ゆとり教育」でなされようとも、社会常識やモラル、マナーを教えるのに主体的な役割は家庭が担うべき。これは間違いありません。

多分、この意見

「んな事言ったって、親や家庭んにそんな余裕があるかよ! ただでさえ核家族化や少子化が進んでるってのに!!」

という反論が寄せられるかも知れませんね。

これもまあ、同意と言うほかない。

となると、核家族化や少子化(一人っ子や兄妹の少ない家庭の相対的絶対的増加)の進行と、1985年の男女雇用機会均等法施行を契機とした女性の社会進出(共働き世帯の増加)といった要素が、親や家庭から子供に社会常識やモラルを教える機能を剥奪しているに等しく、これはかなり深刻に捉える必要があります。

といっても、これ「ゆとり教育」の結実でも害悪でもなんでもない。

家庭にばかりなすりつけるべしでないというのなら、もう少し

社会的包摂

という概念、これをもう少し顧みてみませんか? と。こんな国民でしたっけ? 日本人って。

最後に、マナーやモラル。きわめて示唆に富む記事がありました。またもデイリー新潮の石原壮一郎さんへのインタビュー。

「ドアノックは3回! 2回はトイレの個室の空きの確認に同じ」
「『了解しました『はNG! 『承知しました』」

そして

「徳利の差し口でおちょこに日本酒を注ぐべからず」

これら3つだけでも

「何よコレ・・・」

と言わざるを得ないマナー違反でも何でもないくだらないニセマナー。

こんなトンデモマナーがSNSでやたらRTやリツイート、いいね!をされると言うことは、

「コレ・・・何がマナー違反なの??」

という、アタシたちの世代なら当たり前に行われていた可否判断すら、大学の友人や中学高校時代の旧友としなくなっている証明でもあります。いや逆に、ネットが普及し、それらがしやすくなっている時代に、なんという皮肉。

マナー関連では、こんなものも。

この「トンデモ」に一定の理解を示すかの如くな見解を示し、妥協策を披瀝するに至った

「FNNプライムオンライン」(フジテレビ)

の姿勢に、主にロスジェネや相対的貧困について取材を重ねていらっしゃるライターの

赤木智弘

さん

がこの記事で痛烈に批判をしています。

当たり前です。

難癖やいいがかりでしかない、もしくはそれこそ親や祖父母にそう教わり、固く信じ込んだ方が述べた

「独自マナー or セルフモラル(ローカルルール??)」

かもしれない、それ位に滑稽でしかない。

しかし、赤木さんがこれほどの批判的言及をするまで、ネットを覗けば賛否拮抗。

ネットは置いておきましょうか。

こんなトンデモマナーを公共の場で披瀝しよう物なら、赤木さんと同じ意見をピシャと横に入って言って述べる諸先達が、社会にはいたものです。

「アンタ、何教わって育ったか知らないが、間違ってるから即刻あらためろ! 他人様にいうことじゃない!」

と。

そう言われて育ち、堅く信じ、他人様に啓蒙してこそ正義である・・・いくらそういうトンデモマナーを振りかざす人間の一人や二人いたところで、要はその人の知識はアップデートされ、撤回はせずともそう安易にはふりかざす事はなくなる社会であったはずなんです。日本って国は。

これこそ、マナーやモラルの教育における「社会的包摂」の何物でもない。ネットがあろうともなかろうとも、現代社会においてこんな事すらも社会は放棄し、完全機能不全に陥ってしまっているのだとしたら・・・

アタシが、この拙記事


で言いたかったことは、まさにコレだったのですが・・・

「いつものミナコのマウンティングだわ」

みたいな感想ばかり。やはり社会は劣化しているのでしょうかねえ・・・???

もはや

「社会常識・モラル・マナー大量創作社会」

こんな事態です。いくらダイバーシティが叫ばれようとも、こんな社会に陥ってしまったのだとすれば、今後一体どうなってしまうのか。

・・・かといって、

「是非とも真の『正義』とは何か? を学ぶべく、明日から○○教の日曜教会に通いませんか?」

そんなこと言いますまいしねえ(苦笑)

※出身大学の影響で若干クリスチャン(カトリック)ではありますが、信徒というまででもない、言うのも忍びない、滅相もないです・・・

それに

「戦前の家長制に戻すべき」
「戦前の道徳精神を今こそ日本人は原点回帰的に」

そんなことアタシは言っていませんし、まっぴらごめんですね。

これら、そんなもんで軌道修正が図れるものですか。ネットで殊更これらに賛同やら提灯持ちをしている人々に、それらが微塵もありゃしないか大いに欠落している方々の集団である事、見ていて分かりませんか? 

(Z会の頻出古文単語的に)「かたはらいたし」(はい、ここで「頻出古文単語」で調べ、現代語訳!)とはこのことです。

まぁ。我々は、我々なりにできる事を精一杯やりましょう。話はそれからです。

※また長くなっちゃった・・・失敬!!

Photo by Thomas Hawk Images on Visualhunt.com Licence : CC BY-NC







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ササキミナコ/Minako Sasaki
最後までお読み頂き、ありがとうございました。他にも多くの記事を執筆(現状「予定」でしかありませんが・・・)の予定です。お時間が許す範囲で拝読願えれば幸いです