最近手放した感情
経験が増えれば増えるほど、人生においての引き出しが増えていくもの。
だけど、それは自分の人生にとって必要な場合もあれば、必要のないある意味邪魔な感情の引き出しの場合も。
それは、何か新しいことを始めようと思った時に、過去の経験から一歩足を踏み出すことが困難になってしまう場合もあれば、
直接言われたわけではないのに、他人の目を気にして行動してしまったり、
他人は実はこう思っているのではないかなとネガティブな感情が出てきてしまったりして、自分を苦しめてしまう場合もあります。
人は古来から、生物として生き抜くために危険を回避しようと学習する生き物です。
本能で危険を避けようと過去に学習した経験や知識を駆使して生活している生き物なんですね。
でも、今は外敵に命を襲われる心配はほぼありません。
現代においては、「生き抜く」ということよりも「人との関わり」の中で生きることが多くなったため、生き抜いていくためには「コミュニケーション」の場合での危険回避を取得したことが増えたと思います。
その結果、本能的に自分が作り出している自分自身の感情という敵に影響されてしまっているのではないかと考えます。
そこで、私が今まで「危険なもの」、つまり身を守るための防衛として学習してきた感情を手放したものについて、お話しします。
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1)言われてもいないのに、人の気持ちを想像し、自分を追い詰めること。
直接言われたわけではないのに、
「あの人はこう思っているんだろうな」
「ああいうふうに思っているに違いない」
と想像することがよくありました。
想像すること自体は悪いことだとは思いません。
しかし、私はネガティブな感情でいっぱいになり勝手に自分自身を傷つけてしまったり、反対に勝手に相手への嫌悪感を膨らませてしまったりしていました。
そんな「無意味な妄想」は手放しました。
2)頼まれていもいないのに、人のために動き、見返りを求めること。
自分自身が心から人のためになりたいと思って動くのであれば良いと思います。
しかし、時にはやりたいと思っているわけではないのに勝手に人のためを思って動くこともありました。
そして、勝手に動いたのは自分自身なのに、
「感謝して!」
「そっちもやってよ!」
「自分はやっているのになんでやってくれないの?」
と相手にも求めるようになってしまっていました。
頼まれてもいないのに、やりたいと思っているわけでもないことを行い見返りを求める「ほしがりの私」は手放しました。
3)どう思われるか考えて顔色をうかがって話したり行動すること。
顔色をうかがって話していることは相手にも伝わっている場合が多いです。
そんなこちらの態度に相手にも気を遣わせてしまったり、反対にイライラさせてしまう場合もあります。
思っていることや相手にして欲しいことは、きちんと伝えるようにしました。
ただ注意点は、傷つけるための話をしないこと。
お互いが心地よく過ごすためにはどうしたら良いのか考えて伝えるようにしました。
「顔色をうかがうこと」を手放しました。
4)察してもらうこと。
人は自分自身とは違うのだから、察してもらい、思い通りに動いてもらうことは不可能です。
相手にしてもらいたいことがあるなら、きちんと言葉で言わないと伝わりません。
「察してちゃん」を手放しました。
以上が、最近手放したものです。
関係が近ければ近いほど難しくなってくるコミュニケーション。
物心がついた時から今現在まで、危険と察知して学習し積み上げてきた感情を手放してみると、少しずつ心地よい毎日になるかもしれません🌱
ご覧いただきありがとうございました。