パウロ・フレイレ
パウロ・フレイレの探求
覚書
プラジルの北東部に生まれ 成人職事教育の実践により私たち人間として生きることの「意識化」を行う。
「非抑圧者の教育学」の著書。
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学生時代にフレイレに出会い、今もなおフレイレの考え方を大切にしながら活動を行っている稲葉さんを中心にフレイレについて対話する会を 仲間内で行いました。あずみんに設定してもらってものすごく生き生きした対話の場になりました。
フレイレの活動 国際開発のなかにおかれる国際協力、国際保健教育には命の尊さが置かれる。
彼が力を入れた職事教育による、言語化していくプロセスそのものが自分を客観視し、俯瞰して捉えていくことからアウェアネス(気づき)がなり、生きるパワーへと変換していく。
どのようにその場づくりを行うかの視点、何をきっかけに誰も抑圧することなく 自分ごととして問題を捉え、考え始められるのかへの招待。
より具体的なイマジネーションを持ちながら対話をしていくこと、その対話という行為そのものに私たちが持ち備えた「いのち」への愛情がもたらす変化であり、そこへの信頼、自分のいのちへの責任、自覚の意識化に目が止まる。
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今行われている 様々な活動の主な仕掛けのなかに フレイレの考えがベースにあることにも目が行く。
NVCの対話の場づくりやクラス、WSでも同じような意識化を招待していく。
招待された緻密な場づくりの中で 自分の中に眠っている主体性を意識化していく。
その意識化により 無力化や抑圧的なシステムの加担ではない新しい私が存在することを可能にする。
一人でジレンマの中で動けなくなってしまうことも多いのではないかと想像する(自分の体験から)。
それらを同胞と共に探求を重ねること それにより さらに前に出していくことが可能になること。
仲間の存在が大きい。
人と人とが関わる中で、自分の中に起きる2重性に自覚的になることには、踏みとどまりコンパッションを向ける必要も見えてくる。
自分を存在させ、創発されるものが生まれ 自己の出現が可能になる流れがイメージできた。
自分の中に無意識にもつ「極」に中庸に観察すること。
「愛情ある対話以外は対話ではない」と言い切るフレイレ。その奥深さ、その可能性に希望を持った。
つながりながら探求してくれた 仲間に心からありがたいなと。感謝。
そして、この意識化のプロセスを踏んでいこうとする時(社会活動をする時)に自分の中に立つ Y路のジレンマをおくことができる。
2つの方向を物語からみるのではなく、新しい自分を画一して捉えることに大きく役立つ視座になると腑に落ちた。
今までの物語を言語化し、アンブレンドし、俯瞰する。
新しい自分と出会っていく深い深いプロセスを彼は語っている。
あー、NVCと重なるな。
私は、どのように一口サイズのケーキにして 意識化するお誘いをしていこうかと自分に聞いてみる。
自分の体験や経験、自分が見えている側面から対話し、暮らしの中で実験していこうと思った。