セカンドレイプが自分事になった日
中高生の頃からフェミニズムに勇気づけられていたから、ジェンダー学に興味があって、大学でもジェンダーゼミに入って、教授の部屋にある本をタダで借りてタダで読みまくる。最高の学生生活(ー̀֊ー́˶ჱ̒
こんなに関心があるのに、語れる場に訪れた事はなく、同じような熱量で語れる友人もいなかった。だって、なんか行くの怖かった。想像もできなかったし、自分と同じような人が沢山いるなら怖かった。自分が世の中に対して思う疑問や不信感、こういうのに全部共感されたら、怖かった。排斥されてた側で、ならず者側で、理解されない側だって分かってるから、全員まとめて普通じゃない人に思えて、だんだん自分が普通になっていくのが怖かった、自分は悪くないって思えてしまうのが怖かった。
でも知人の紹介で初めて、ジェンダーについて語れる場に行けた。それでも、一生懸命行ったって感じだったから、遅れたし、でも、達成感凄かった。
ついに来れたჱ̒^. ̫ .^✧︎
で、どうして来たのかという、動機を聞かれる場面があって、みんな答える中で、私も普通に答えようとしたら、なんでか涙が止まらなかった。
薄々、今日もし、この場に来れたら大成長だなと思っていたけど、やっぱり私にとってデカかった。理解がある人達の聞いている態度が染みた。こういう場に来ないと、理解して貰えないんだと思うと、この世界はどんだけ理解してくれないやつだらけなんだよ。と絶望も感じるけど、優しくされたら泣いちゃうそれだった。大したこと言ってないのに、辛かった。否定されてばかりだったから共感されるのが怖かった。で、感覚レベルだけど、この時に、あれ私ってヤバいのかも。って思った。
もう10年以上経ってて、毎日突然泣く事も無くなったし、毎日何も出来ない訳じゃなくなった。卒論で自分の経験を交えて研究できているし、人に自分の経験を笑って話せるようにもなった。だから、良くなっていると思ってたけど、10年経ってもここまで引き摺っているのはヤバいのでは?と思った。
性被害者が最も苦しむのは外傷ストレス障害と呼ばれるPTSDだったり、他者からの何気ない発言によるセカンドレイプだと心得ているが、そんな酷いことを言ってくる人は私の周りには居ないし、セカンドレイプに苦しんでいる人はさぞかし辛いだろう…私より辛いだろう…PTSDはかなり被害者を苦しめ続けるらしいから、私は診断に行ってないから分からないけど、きっと私より辛いんだろう…って思ってたのに、私も永遠にセカンドレイプを受けていたことに気づいた。
信頼している友人からの
「そんなに気にしなくていいんじゃない?」
大好きな彼氏からの
「あんまり考えすぎるのやめたら…?」
友人からの
「でも冤罪の方が問題ちゃう?俺怖いねんけど」
友人からの
「でも君は辛い経験を乗り越えているからカッコいいなって思うよ」
友人からの
「その経験は辛かったと思うけど、今これだけジェンダーに関心持っててすごいと思うよ」
全部しんどかったわ、って気づいた。
肯定されるのも否定されるのも目を背けられるのも違う、あぁ、だから私ここまで引きずっちゃってるんだって気づいた。セカンドレイプ、しんどい。言ってる側に配慮がないのは当然だけど、私を思って言ってくれる言葉でさえも私は哀しく受け止める。周囲の親切が故の言葉でさえもあたたかく受け取れない。
最近はしょっちゅう死にたいと思わなくなった
でも先週、久しぶりに死にたかった
ベランダのへりに立って、5,6時間迷って、考えて、勿論ずっと泣いてて、でもやめた。飛び降りるのをやめた。やっぱり死ねない。だから死ねない人って自分のこと思ってて、で、その感覚が蘇ってきた。生きてるってよりかは、死ねなかった人。
変わりたいなぁ。