障害受容、障害理解について考えること
今日は少し真面目な話。
私は卒業論文で「自閉スペクトラム症を持つ人の障害受容のプロセス」について研究しようと考えています。
こうやってタイトルをつけるとなんかかっこいい感じするけど、それだけじゃ、本質は理解できないのかなと感じています。
「障害受容」と簡単にいうけど、そんな単純なものじゃない。
このテーマについて書く上で、自分なりにいろいろ考えて、先行研究もたくさん読みました。
そのとき率直に思ったのは、障害受容の定義について考えなおしたほうがいいのではないかということ。
この研究をしようと思ったのは、自分自身が自閉スペクトラム症の診断を受けているからです。
たしかに私は、周りから空気が読めない、変わってると言われますしこだわりも強い。感覚の過敏さが辛いことも多い。
私はたしかに自閉スペクトラムの特性をもっています。病院にいって、診断をもらって、障害者手帳も交付してもらいました。
診断を受けた時はショックだったけど、今は自分は自閉スペクトラム症であることは受け入れていると、自分では思っていました。
でも、「障害受容」について考えたとき、ちょっと思ったのが、「障害のせいにしてないか」ということでした。
頑張れば出来ることを障害を理由に避けていないか。障害があるから、不得意なことをあきらめていないか。
とくに自閉スペクトラム症などの発達障害においては、「障害受容」は大事なことだけど、ちょっとズレるとこういうことが起きるのではないかと思います。
そういう面も含めて考えたいなと思っているけど、なかなか難しい、、
ちなみに、私は結構、発達特性が出ないか心配でやりたいことを諦めたり、予防線張ったりしちゃいます。。そういうのも大切だけどやりすぎはよくない。。難しいところですね。
でも、自分が「障害のせい」にしてしまうことがあるということに気づけたことは大きな発見でした💡
研究についてはまだまだ迷走中ですが頑張ります。
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