右膝をやってしまった。 経過観察19日目
いつかのスカイツリーです。なんでこの色なんだったっけか。
これに電気代どのくらいかかってるんだろう。
東京タワーの方が良いっていう人が多い気がするな。なんでだろう。
ドラマ、リーガル・ハイで古美門vs古美門パパの一戦を終えたあと、パパが古美門に「東京タワーの方がはるかに大きいですよ」みたいなセリフも少なからず影響しているんじゃないでしょうか。
19日目、膝の状態がかなり良いです。
昨日は寝つけも良くて、今朝に体を起こすまでには時間がかかりましたが目覚め自体は悪くなかったです。日中から晩にかけても痛みはゼロに近くて、膝の曲げ伸ばしも少しづつ可動域が拡がってきました。
まだ膝の中に水が溜まっているおかげで膝が全部曲げれないことはもうわかったのでこれについては静観です。
あとは軽めのスクワットが出来るくらいまでの可動域になってくれれば、手術前に十分なリハビリが可能なので、明日の診察の時にトレーナーと相談しながら根気よくやっていきます。
瞑想
先週の土曜日オにーストラリアで共に切磋琢磨したタローさんと久々に話しました「瞑想」を薦められて、毎朝に1分~2分くらいでやっています。(
今日は寝る前にやります)
たかが1分されど2分。やってみてまず率直に感じたことは
「1分とか2分てめちゃくちゃ短い」
「時間は有限であることの再認識」
瞑想というのは”瞑想をする”という動作ではなく”瞑想状態”に入るということなので、例えばベタに胡坐をかいて手を組んでやるって言う姿勢の話はついてまわるんだけど、瞑想はあくまで状態のことを言うのでどんな姿勢でやろうが、音が鳴っていようが、その状態を作ることさえすれば場所や条件問わずで瞑想状態に入れることを指すそうです。
で、その瞑想状態ってなんなのかっていうと、簡単にいうと無意識な状態です。じゃあ無意識って何?ってなるんだけど、多分それは人それぞれなのかなって感じました。頭がカラッポな状態の人も無意識だし、僕のように寝る時に全く関係ない映像がずっと頭を駆けめぐってる状態も多分無意識です。
意識してなきゃそんな映像流れなくないか?とも思ったんだけど、この映像はもう毎夜流れてるし本当に意味のわからない映像ばっかりなので。(これが寝つけが悪い要因かもしれないんだけど笑)
でもそれがなんだか心地よく感じて自分が宙に浮いてる気持ちになるんですよね、映像が流れている癖に脳が休まっているイメージです。
タロ―さんの所属チームで、若手のGKにタロ―さんが瞑想を薦めてみたところ本当に見違えるように自信に満ち溢れるような立ち振る舞いになったようです。
みなさんもぜひやってみてください。
朝起きて、朝食を食べる前の1,2分でやるのがおススメです。それだけでスッキリします。
※もちろん向き不向きと個人差がありますので効果の確証はないです。
タロ―さんのinstagramを載せておきます。
子育て中のママさんパパさん
スポーツに悩む少年少女諸君
アスリートの方々 などなど
タロ―さんがお話を聞いてくれますので是非是非。
タロ―さんについてはまた後日にnoteを書きます。
自分で考えないということは恐ろしいこと
昨日の続きになります。
オーストラリアどうだった?と、話を聞いてくる人たちには「日本がそういう国か見えてくる」と答えます。
そして、自分で考えて意志を持って言動出来ないことは凄く恐ろしいことだ。というのも感じました。
実は当時のチームに1人だけ自分を出せていないな、と感じてる若手がいました。
彼自身あまり試合に出れていなかったことが原因かもしれませんが、それでもトレーニングでは当然のように主張はしている。自分が回りよりも下手だとか関係ないのです。自己主張までしなくなったらもっと存在価値を示せないのだから。だから僕も一生懸命言葉で伝えられるように英語を勉強しましす。1シーズン目から彼の姿を見たおかげで「プレーしているだけじゃダメ」ということにも気づけました。
だって周りに「お前は何をしたいんだ?」と不信感を募らせてしまうから。
自分で考え、意志を持って行動、言動していく。これ無しでは人は成長しないと思ってます。
それを怠ったせいで僕は昨日、まんまと某局の受信料を払う契約を交わしてしまったので、調べあげてすぐ解約できるよう手配します。笑
言葉が出ないもどかしさ
2017シーズンの終盤戦、キャンベルタウンシティは6位辺りを彷徨っていました。チーム状態が良くないのは明らかで、試合中もストレスを抱えたり時には怒号が聞こえるくらい悪い雰囲気の試合が続いたことで、僕も何とかしないと思い意を決して監督にメッセージしたんです。
「昨年優勝したチームとは思えない」
「試合中に前向きな声が出ていないのは異常だ」
「俺はただ勝ちたい、もっとみんなでサポートしあっていきたい」
そんなようなことを試合後にメッセージしました。
翌週のトレーニングの前に、ロッカールームでみんなが集められました。
監督「ミノが俺にメッセージをくれた。ミノ、今何を思うか話してくれ。」
正直言って驚きました。
僕がトレーニング前にこうして話す機会を設けられたことに対しての驚きではありません。
あろうことか、監督がこうして話す機会を与えてくれたにも関わらず僕は一言もしゃべれなかったのです。
そんな自分に驚いたんです。驚いたと同時に失望もしました。
自分がメッセージした癖に、言いたいことがあるくせに伝えられない。
言葉が全然出てこないがこんなにもどかしいなんて。
一体俺は今何をしてるんだろう。
自信がない
これにもきっと原因がある。普段トレーニングでは監督の要求は理解出来てたし、試合中だって味方に指示も出していた。味方のコーチングも聞こえて理解していた。
なのになぜあの場で話せないんだろう。
結局のところ自信がなかった。
僕の出した答えはこれです。情けないですが認めざるを得ません。
これで十分伝わるはずなんですよ。だけどこれすらも言えなかった。
これくらいの基本レベルなので勉強中はおさらいくらいでやっていました。
だけど肝心な時になぜこんなシンプルなモノが出ないのか。
これはまだまだ”日本人が英語を話そう”ってなった時に「間違えないように」という意識があるからなんですね。僕もそれに陥っていました。
これ伝わるかな?大丈夫かな?って思いながらの英会話はとてもじゃないけど無理なんです。僕らだって日本語で言い間違えることくらいあるでしょう。彼らだって間違えるときはあります。ましてや英語を不得意とする日本人が話そうってんだから間違いなくミスは起こるんです。
なぜ自信がないのか
これは最初の
自分で考えないことは恐ろしいことに立ち返ります。
僕は小さい頃から少年団に入りサッカーをしていましたが、その頃は何の疑問も持たずにただただサッカーをやっていました。ここでいう疑問というのは例えば、
「試合に負けて、その場でグランドを1周全力で走って来いと言われて走った」
「帰ってきた途端”ゼーゼーハーハーうるせえ!”と怒鳴られた」
などです。
こういった事にも何の疑問も持たずに、監督の言う事を聞いていれば上手くなると思ってただただやっていたんです。これは葛飾区選抜や地域選抜に行っても同じでした。指導者が変わっても、根本は変わらない。
監督やコーチに言われたことをやれないと、「怒られる」「怒鳴られる」。
という地獄が待っているので。
これは学校でも一緒です。
日本の教育ではやはり「協調性」が求められるので、個性が尊重されないような仕組みだし、先生も「協調性を持った子になるよう指導しないといけない仕組みに捉われた人達」が 多いので。
思い返せば、学校生活でも「これなんだったんだ、なんでこうなるの?」っていうことがたくさんあった気がします。
だから、常に子供たちは正解を求められる環境に身をおくことになるんです。間違えたら怒られます。怒鳴られます。そんな環境がまだまだあると感じてます。僕らの代もそうだったし、自分の父や母の代はもっとひどかったはずです。
こういう環境で育ってしまった場合、
自信を持って今を生きることは難しいんです。
ちなみに僕がこの環境で育ったことで被害者ヅラしたいのではありません。
そうだったとしてもしっかり自分で考え意志を持って生きてきた人もいるので、こればかりは僕という人間の資質と弱さが「自信を持つこと」を選択させなかっただけです。実際に「みんなと一緒が良い」って思ってましたからね。
自信を持つには
これの答えはそれぞれです。その人に合った自信の持ち方があります。
例えば
「人はあんまり自分のこと見てないし、気にしていない」
「人にどう思われようが関係ない」
この辺は僕の解決策です。
みなさんはどうでしょうか。
自信にみなぎってる人は近くにいらっしゃいますか?
その人たちはどんな言動をしていて、どんな目をしてますか。
変な宗教勧誘のような文末問い掛けになってしまったすみません。笑
ひとつよしなに。
株式会社美好所属
市川SC所属
みのってぃ。