わたしは初めてわたしになった。〜悟りの体験告白:ノンデュアリティーはウソでした〜

これは備忘録である。
放っとけばたぶん
1ヶ月以内にぜんぶ忘れてしまうから。



悟りとはなにか。
というとき。
たぶん日本の悟り業界で
よく知られた、
もっともスタンダードな回答は、
『自分がいなくなる』
『自他の差がなくなる』
『あなたはわたし、わたしはあなたになる』
というものだろう。



ノンデュアリティー
という流派(??)があってね。
スピリチュアル出版の大手、ナチュラルスピリット社の社長が熱心に大プッシュしている教えがノンデュアリティーで。
日本語訳すると非二元、非二元性。
つまり、
自他、是非、善悪、正邪、光と闇、などなどの二元性はすべて見かけのものにすぎず、それらはすべて幻想である。
そうした幻想を打破し、
『すべてはひとつである』ということを理解するのが、悟りである。
というのが、
ノンデュアリティー学派(??)が唱える、悟りなるものの意義。



理解する、
というか、
実際に悟りを開くと、
ほんとうにそれを体感するらしく、
『わたしはいなくなった』
『わたしが存在する、というのは幻想だった』
などと真顔で言い出すものらしい、、、。



そのような、
ノンデュアリティー学派(??)の人々は、単に悟りというカテゴリー内だけではなく、
スピリチュアルというジャンル全般での抜群の知名度を誇る人も多くいて。
日本では、
阿部敏郎さん、
大和田菜穂さん、
(あれ他にも有名人いるのにいきなり思い出そうとしても思い出せないやーーごめーん💦)
海外の人では、
ラマナ・マハリシとか
ニカルガダッタマハラジとか
オショーラジニーシとか
ラメッシ(フルネーム忘れた💦)とかの、
考えてみれば
インドの人ばかりですね。


インドで著名な『悟った人』の
教えはだいたい非二元なので、
悟りの本場:インドでの著名な覚者の著名な著作がどんどん翻訳されて日本に入ってくることもあり、
日本のスピリチュアル業界においては、
『悟りとはノンデュアリティー(非二元)のことである』
という常識(??)が
確立されたかのような状況である。




それにしても、
なんでこんな話をしているのかと言うとね。


わたしも
むかしはそれを信じていたわけですよ。
いつかわたしも悟りを開けば
『わたし』はいなくなり、
『あなたとわたしはイコールになるんだ』みたいな。
でもね。
わたしの身に起こったことは、
そうした宣伝とは
まったく別のことだった。
なので、
それについて、
記録しておきたいと思う。
今回の投稿は、
それだけが目的です。


ところで。


わたしはなぜ
『わたしは悟りを開いた』などと言えるのでしょうか???



悟ってみたら、
業界的に喧伝されているのとは、
まっったく別の世界が待っていた!!
ということを、
いまから述べるに当たって。


そもそものすべての前提条件が、
『わたしは悟りを開いた』
という話が事実であること。
そこが最重要であって、
その部分が絵空事なら、
話のすべてが消失しますよね。


なので、
まずは、
そちらのほうを
固めておきたいと思う。




まずね、
悟りとはノンデュアリティーである。
とする見方は、
じつのところ、
『悟った人はこのような世界に生きている』
ということを述べただけのもので。
はっきり言って、
それ以上の意味は無いです。




言い換えれば、
『悟った人の世界観を真似すれば悟れるわけではない』
ということです。
意味わかりますか?
富士山の山頂の空気についての講義を受けても、それによって富士山に登れるわけではありませんよね。
(※これはきわめて重要です)
(※この点を突き詰めていくと悟りについてのすべての教えは詐欺、という答えにもなりますからね。なぜなら悟った人の世界観について学んでも、それは実際に悟りを得られるかどうかとは何の関係もないからですよーーー💥💥💥)



次にね、知っておいてほしいのはですね。
そうした『物の見方』とは別の位置に、
悟りの兆候を
客観的に捕捉する方法

というのが、

じつは、

ありましてね💕

具体的には
以下の現象があなたの身にも起こり始めたら悟りは遠くはない。
①思考が止まる
②呼吸が深くなる
③過去を思い出さなくなる
④未来への関心が大幅に減る
⑤他人への関心が大幅に減る
⑥外界への関心が大幅に減る
⑦謎のしあわせ感が襲ってくる
⑧身体が勝手に快感を創り出す


そうして
最終的に悟りに至ると、
⑨疑念が消失し証拠を求めなくなる、、、。


このような、
具体的な変化が
あなたの身にも
起こります。




ちょっと補足しましょうか。
①思考が止まる。
これがいちばん重要。
いま、あなたの頭のなかではいろんな思考が渦巻いていませんか?
それ、自力で止めることはできますか?
できませんよね??



悟りが近くなると
思考は止まります。
自分の頭のなかの無意味なおしゃべりが止まります。
これがもっともわかりやすい
悟りの兆候だと言えます。
思考を止めることができないノンデュアリストは、悟りの導師としては、すべてニセモノです。



②呼吸が深くなる
これも重要。
誘導瞑想とかで、
息を吐きましょう、吸いましょう、とかって指示されますよね。
あれ、わたしは合わせられないです。
それよりもはるかに呼吸が深くて、
1分あたり、せいぜい数回。
いつ吸っていつ吐いたか、
吸う息と吐く息の境界線が、
厳密には存在していません。
たとえば駅のホームの階段を駆け上がったとき、心臓の鼓動は早くなりますが、息はあがっていません。
正確には息はあがっているはずなのに呼吸はそのままなのです。呼吸が深いせいで、深い部分では息が乱れていても、鼻や口の位置まではそれはあがってこないわけです。
一般人の標準的な水準を大幅に上回る呼吸の深さを実現できたら、
悟りは近いです。



③④⑤⑥=大幅に減るもの各種
これらは思考が止まれば必然的に起こることです。
言い換えれば、
職業として悟りを教えている人は、
どうでもいいことでは葛藤しないのが当然です。
ちょっと危険球な質問を投げかけてみて、怒り出すようならニセモノですねー✨✨✨


⑦⑧
これらは
実際に自分の身に起こるまでは
アルコール依存や薬物依存を想像するかもしれませんが、
そのようなものとはまったくちがいます。
わかりやすく対比すれば、
ふつうの人は、
ふつうに生活しているだけなのに、
根拠も無く
恐怖や不安や不幸や焦燥感を感じることは、あるはずです。
それのネガポジ逆バージョンだと思えばいい。
身体の快感についても、
人間には病気というものがあり、痛みというものがある。
そのネガポジ逆バージョンとしての
『快感が勝手に湧いてくる』現象があっても、理屈としては、何もおかしくはない。


⑨疑念の消失。
これが実際にわたしの身にも起こってしまったので。
なんのためらいもなく、
『わたしは悟った』
という立場から、
わたしは語ります。



もし仮に
『悟ったらわたしはいなくなるはずだ』
だから、
『わたしは悟ったなどと言っている時点でニセモノだ』
などという批判を浴びても
たぶん、ぜんぜん気にしないですね。
せいぜい、
『そのとおりです』
『あなたが正しいです』
『おわり。』
で、
それ以上は議論に応じない。


これについての理屈を言えば、
わたしはわたしの所見を述べようとしているのであり、
それについて、旧来の理論を杓子定規に当てはめるしか能のないbakaないしはorokamonoと議論するのは時間のムダですから。




でね、
そういうわけなので、
[1]悟りとはなにか。という世界観の説明は、実際の悟りとは、何の関係もない。
[2]しかし自分では悟れないけど悟りについて話題にしていたい人々のニーズを満たしているのは事実なので、ノンデュアリティーには存在価値はある(おもに商業的に)。
というのが、
現在のスピリチュアル業界における、悟りとはなにか。およびノンデュアリティーなるものに対する、わたしの理解です。



だからね、


これを読んでいるあなたがもしも、
自分自身もほんとうに悟りを得たい!!
とお望みなら。
いわゆるひとつの、
『悟ったら自分はいなくなる(はずな)のだから、自分が悟りたいなどと思うのが間違いなのだ』とかの無意味な無限ループはさっさと見限って、
実務的な観点から、
上述の①②③④⑤⑥⑦⑧そして⑨が、
あなた自身の身にも起こるように仕向ければいいのです。それだけです。それ以上に有効な方法なんて、あると思いますか!?


もし測定装置が身近にあるなら、脳波も使えます。脳波については、瞑想というジャンルでかなり研究されているので、そちらを検索してください。
でも、ぶっちゃけ、ね。
すでに思考が止まっているのなら、
すでに脳波は理想の瞑想状態になっているはずです。













悟りというのは
ひとたび得てしまえば
もう興味は持てないものだ。
いま、どうしてもこの原稿を書き残したいのは、時間が経てば忘れてしまうのは確実だからで。
ようするに、
いまの時点でもすでに悟りという現象について語ることにはほとんど興味は持てなくなっているのだが。
でも、
それでも。
自分の身に起きた、
一生に一度かぎりの
この現象は
とても価値がある、
とても貴重なものだから。
まだそれについての記憶があるうちに書き残しておきたい。それだけ。
動機は、ほんとうに、それだけ。










あぁあ💦
またしても前置きが長くなったぁ。
①物事を客観的な視点から詳しく説明できる
というのはわたしの偉大な長所だが、
同時にそれは、
②前置きが長くて本題が始まらない
ということでもある。



どぅせこの投稿には
タグ:悟り
タグ:ノンデュアリティー
とかも付けるに決まってるからね💕
タグ検索でこの原稿を見つけた、という人。
悟りについての情報を得たい、という人は、
上述の①〜⑨および、
ノンデュアリティーなんて詐欺か何かだと、悟りを自認している人が言っていたよ、という『おみやげ』を、どうぞお持ち帰りくださいね💖💕💖












じゃあ、行きます。
何月何日何時何分にエンライトした(悟った)という表現は、
わたしの場合には、
できない。



でもおおまかに言えば、
今週中の数日間。
ピークを8月13日に迎える形で、
それは起こった。



ヨガの体系では、
クンダリーニが背骨を駆けあがると、それだけで悟りを開ける。
そのさいにはものすごい快感が伴う。などと説明されていたと思うのだが。
わたしの場合、
背骨が熱を持って快感を奏でる状態になってしまい、それが三日三晩続いた。
病にうなされるのとはわけがちがうが、
そうは言っても、休む間もなく快感にずっと襲われているのも、それはそれでかなり異常な状態だ。今日(8月16日)になって落ち着いてきたので、この原稿を書いている。たぶん、いまの実感じたい、しばらく経てば消えてしまう。








ところで。話は前後するが、
わたしには過去に悟りを求めて修行していた時期があり。しかし、去年の時点では悟りなどという話はすっかり忘れていたのに、

今年の夏だけで、

悟りを自認している人

それどころか
『悟りを伝授できる』と豪語している

覚者二名と出会った。

ひとりは
三枝英彦さんで、

もうひとりは、
中西研二さん。

いずれも、有料で悟りの伝授を行っているから、ネットで検索すれば、情報はすぐに出る。



でね、
悟った人を間近で観察できる機会があったら、言葉での問答なんかどうでもいいから、何よりも見るべきなのは、彼の挙動だ。
悟った人というのは、
自分の自慢話を平気でするが、
(※自分の講座なのだからある意味当然)

そのときに、

自意識の反射が、

まったくない。

これだけでも、
本物かどうか、
けっこう見抜けるよ✨✨
前述の①が彼の内面で起こっていれば、自分の口から自分の自慢話が出ていても、それの受け取られ方についてはとくに関心は無くなるよね。
彼自身の口が勝手にしゃべっているだけなのだ。本人も、そういう感覚だと思うよ。
セミナーの現場で、
何も喋らないわけにもいかないから。



ほかに、
呼吸がものすごく深いことや、
あとは、
瞬きもせずに目を開けたままで
1分くらいなら平気で経過できる。
実際、
三枝英彦氏の悟りの伝授は
『30秒間見つめ合う』
というものだった。
(※中西研二氏の悟りの伝授は彼が頭部に手で触れる)



2名も観察すれば
じゅうぶんだった。
悟りを開いた覚者というのは、
まるで大木のような、
不動の中心点となり、
まったく動かない彼の背後から、
清廉なエネルギーが放たれる。


そこに何百人いようと、
何万人いようと。
彼は不動の中心点であり、
微動だにしない。
そして放たれるエネルギー。




それを観察した時点では、じつは、
『悟りを開いた覚者に会ってみたい』
というだけで、
それ以上の関心は無かった。


うーん。
スピリチュアル業界は、
ほんとうに病んでるからね。
わたしとしては、
いままでどれほど熱心に探してみてもニセモノにしか出くわさなかったのに、今年の夏だけで、本物に2名も会えたのだから、それだけで、大いに満足していた。

三枝英彦氏も

中西研二氏も

基本的には(参加者に)悟りを伝授する能力の持ち主、ということになっているのだが、
そうした話は、わたしは、
話半分というか、
話1パーセントくらいに聞いてしまい、
よもや自分の身にも悟りが起こるなどとは、その時点では想像もしていなかった。


それにしても、
つくづく良かったのは、
ほぼ同時期に
『2名の』
覚者に会っておいたことで。
これだと、
どちらの伝授によって成就したのか、証拠もないし証明もできない。
わたしとしては、
両名とても尊敬しているけど、
直属の弟子になる気はないので、
『三枝英彦氏の伝授で』とか
『中西研二氏の伝授で』とかには
したくないのです。
(※とはいえ悟りをお求めの方には朗報ですね。実際に伝授によって悟ってしまうこともあるようです)




では
話を戻します。
そんなわけでね、
実際の覚者を観察してみて
①不動の中心点(大木のような)
②背後からのエネルギー放射
という結論を持ち帰ったわけですよ。





もしもわたしが悟るとしたら、
わたしも
同じように、
大木のような不動の中心点になり、
背後からエネルギーを放射する???


でも、
実際に起こったのは、
それとはまったく別の現象だった。




わたしは、
エネルギーを放射する存在ではなく
エネルギーを吸収する存在だったのだ。




背骨に強烈な快感が押し寄せてきた三日間。
やってきたエネルギーは、すべてわたしのなかに押し込まれ、それは世界ぜんぶがわたしのなかに放り込まれて圧縮されるようなものだった。
自分自身が拡張される感覚、
ではなく、
むしろ、
自分自身が圧縮される感覚。
といっても、
サイズが減るのではなくて、
密度だけがどんどん濃くなるような感じ。




密度って何なんだ??
って自分でも思うけど。
いままでにたくさん読んできた悟りの体験談では、急にエネルギーの爆発が起こって、言ってみれば『外に飛ぶ』といったイメージのものがほとんどで、それをきっかけにエゴが無くなり、悟りを得る。
なのに、
わたしの身に起こったことは正反対で。
むしろ世界を創造しているエネルギーがわたしめがけて圧縮され凝縮され、わたし自身はその圧迫感がそのまま快感であるかのような、なんとも異質な体験だった。




そうした変容の三日間を経て、
気がついたら、
わたしの身体は
わたしになっていた。



この身体が、
わたしなんだ!



という強烈な体験。
いままで、
自分自身をどこか他人のようにしか扱うことができずにいた、わたし。
これは自暴自棄という意味ではないのだけれど。わたしはわたしなりに最善を尽くしてきたと、自信を持って言えるけど。


しかし、
わたしにとっては、
この身体はどこかよそよそしくて、
この世界もまた、よそよそしい異世界のようにしか、思えないのだった。



そんな状態にいたわたしが、
何の因果か、
悟りを得て、身体に宿り。
生まれて初めて
『これがわたしだ!』
『この身体がわたし自身なんだ!!』
と理解した。




二度生まれ(twice born)という言葉があって。
だから、悟りを得ることは、
第2の誕生と呼んでもいい。
しかし、
わたしにとっては、
いま、
はじめて、
『この世に生まれてきた』感覚なのだ。



いままでは、
一生懸命、
身体の外から
この身体を導いてきた。
この身体を死なせないために、
この身体が生きている境遇を破綻させないために、
たいへんな努力をしてきた。




そんなことをしていても
しょせんこの世はまぼろし。
いったいわたしは
何をしているんだろう???




そう思ったことも一再ならず。
うんと親しく接してきたものの、
けっきょくは他者でしかなかった
この子。つまり自分の身体が、
いま、
生まれて初めて、
自分自身になった。




いわゆるひとつの、
『あなたの意識の中心はどこにありますか?』
って質問あるよね。
よくある模範解答としては、
頭頂部(第7チャクラ)
眉間(第6チャクラ)
喉元(第5チャクラ)
ハートの中心(第4チャクラ)
というような。
ほかに特殊な回答としては、
頭上のすこし背後、とか、
天使の輪っかの位置(第8チャクラ)
とかもある。



わたしは
その質問には答えられなかった。
身体の外にいる、
というとちょっと特殊能力の持ち主みたいに聞こえるが(能力じたいは実際あるのだが)、
じつのところ、
自分の身体に宿ることが、
どうしてもできなかったのだ。
こんなに努力しているのに!




そんなわたしが、
このたび悟りを得て。
何よりも価値のある貴重な変化は
自分の肉体に宿ることができて、
自分の肉体を自分自身だと思うことができるようになったことです。



いまなら!!!



あたしにも!
意識の中心!!
あるよ!!!!




それはどこですか?
え?
あの、、、、、
背骨??!?
(第3チャクラ)
(※背骨が意識の中心なんて古今東西前代未聞まったく聞いたこともないですよぉー💦)



でもね。
これだけ強烈な体験をすれば、
この身体、ひいてはこの世には、
愛着もするし愛情も湧くよね。



生きる歓び✨✨✨
男尊女卑でも上等だぜ。
女の子に生まれて、
ほんとうによかった!!!



いま、
生まれて初めて、
自殺願望がない。



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ミミィ
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