ステッドラーの鉛筆
ステッドラーの鉛筆と出会ったのは、
はじめて美術予備校の見学に行った時であった。
それまでデッサンなどしたことがなかった私は、その鉛筆のことを全く知らなかった。
他の予備校でどうなのかわからないが、そこではデッサンにはこの鉛筆がいいから揃えるようにと言われた。uniではなく、ステッドラーがよいのだと。
薄ぼんやりした記憶では、他のメーカーの鉛筆だと、芯が柔らかくてデッサンがボケるから、と言われたような気がする。
鉛筆を鉛筆削りではなくカッターで削ることを知ったのもその時だ。短い芯ではすぐに描けなくなってしまうので、カッターで芯を長く削る。それまでは見たことのない形状に新鮮さを感じたのを覚えている。
鉛筆は3H〜5Bくらいまでを数本ずつ揃える。ペンケースには収まらない。皆、A5サイズくらいの透明プラスチックケースに入れていた。
プラスチックケースにぎっしり詰まったステッドラーの鉛筆。それは美大受験の象徴だった。
美大受験には学科試験もあるが、基本的には実技試験がメインのため、受験生はひたすら絵を描く日々を送る。知らない方は、絵画教室のようなほのぼのとした場所を想像されるかもしれないが、実際は全然違う。
絵には毎回評価がつけられ、講師から全員の前でダメ出しをくらい、テーマが与えられるような絵の場合は、解釈や考え方そのものを否定されることもある。
絵を描くのが好き、得意......なんて言えなくなる。
まあ、私がいた予備校はゆるいところだったので、雑談は楽しかったし、予備校生も講師も皆、仲が良かった。お正月には餅つきしたり。みんなでご飯食べに行ったり。学校よりもずっと居心地がよかった。
『青春』という言葉で思い浮かぶのは、結局、予備校時代かもな、と思う。
だからステッドラーの鉛筆は私の『青春』と言える。
大学に進学し、卒業、就職、結婚、出産......デッサンなんて遠い過去となり、鉛筆を使うこともほぼなくなっていたが、私はステッドラーの鉛筆が詰まったケースを捨てられずにいた。大学(金属工芸)で使っていた金槌とタガネはわりと早々に処分してしまったが......
だが、そこから数年後。私はこの鉛筆たちを捨てることになる。
その頃、夫の精神状態があまりよくなく、これはいつ家を出て行けと言われるかわからないぞ、という危機感を抱いていた。身軽でいなければ。そう思った私は自分の荷物を処分することを決意する。
「どうしても捨てられないものから捨てるといい」
友人の名言である。
私はステッドラーの鉛筆をゴミ袋に入れた。その後は好きだった画家やデザイナーの美術書、写真、CD、服。自分を捨てているような気持ちになった。
でもいつか。
自分が欲しいと、必要と思ったら揃えよう。
きっとその時に本当に好きなものがわかるのだ。
そう自分に言い聞かせた。
あれから6年ほど。
生活は少しずつ落ち着き、ありがたいことに自身の仕事も増え、多少は自分の欲しいものも買えるようになった。
自分は何が好きだったか。
noteでいろんな方と交流するようになり、少しずつ思い出すようになった。
とある占いで、私は2021年に冒険の旅に出る、と書いてあった。それは学びの旅だと。
占いがこんなにも当たることがあるのか。
この旅はまだまだ続くらしい。
今思えば。
あの時に自分のアイデンティティと思っていたものを捨てたことはよかったのかもしれない。
好きでなければならないと思っていたものを捨て、新たらしく自分の好きと思えるものを探すことは、きっと楽しいに違いない。