「やりたいこと」はなくても良いのではないか、と最近思う
「思っている」というだけで私自身は「やりたいことが多すぎて困る」という状況なんだけれどね....。
でも「やりたいことが見つからない」という人を否定するのは絶対におかしいと思うし、「見つけないとダメだよ」と叱る人も正直意味が分からない。
最近目に留まった記事がある。
2021年5月7日の記事。
私のnoteは読まなくても良いのでこの記事は是非読んでみてほしい。「やりたいこと」について悩んでいる就活生は特に。
すっごく参考になった。
「やりたいこと」の話
なぜやりたいことが見つからないのかといえば、多くの場合は、他人と比べてしまうからです。
「やりたいこと」があるからといって、必ずしも自分に合った仕事にたどり着けるわけではないのです。
そうなんだよね。「やりたいこと」を仕事にすれば良いってものではないし。
「やりたいこと」はそれはそれで趣味や好きなこととして取っておいて仕事は別のことを選んだって良いし。
「やりたいこと」は全部やりたいから副業する!って選択肢だってきっとあるし。
「やりたいこと」に対して「できること」が伴っていない場合、人事としては不採用にせざるを得ないケースが多々あります。
自身の「やりたいこと」に、どのようにして「やるべきこと」をかけ合わせて、仕事をしているのか。
「やりたいこと」が自分の「できること」とは限らないから難しい。その上、その事実に気づくまでに相当な時間がかかってしまう可能性だってある。
加えて すっごく思うのは、「やりたいこと」が能力的な問題でできなかった時ってすごく悲しいんだよね。やりたいのに自分の実力じゃできない。自分には合ってない。全力でやってるのに、結果に繋がらない。
「やりたいこと」であったはずの何かは、いつの間にか苦痛を感じる物事になってしまう。
こうなってしまうと、なかなか立ち直れないかもしれない。
「やりたいと思っていること」は、案外「自分には向いていないこと」かもしれない。
「やりたくないなぁと思っていること」は案外「好きではないけど自分なら(他の人に比べ)そつなくこなせてしまうこと」かもしれない。
「やりたいこと」をやれる環境にあることが、いつも幸せだとは限らないのかもしれない。
「カルチャーフィット」の話
カルチャーフィットがなければ、採用する側も、採用される側も不幸になってしまう
「自分に合う会社でやりがいを持って働く」、「価値観がマッチする会社で働く」ことができるのは幸せなことなのだろう。
私は「カルチャーフィット」は大切だと思っているし、面接は企業が学生を審査する場ではなくて、「価値観のすり合わせをする」場所であれば良いと思っている。
一方で、、、。
サイボウズの理念や働き方に興味を持っているがゆえに、「サイボウズのカルチャーに自分を合わせようとしている」と感じる方もいます。
カルチャーに共感していることと、カルチャーフィットしていることは、似ているようで違います。
「その会社でどうしても働きたいから、カルチャーに合わせにいく」学生って結構いるよね??いるよね???
性格検査で落とされたくないから、その企業の社風を調べてその雰囲気に合わせに行く、みたいな。共感できている=自分もその価値観を持っている とも限らないのか、、、難しいね。
カルチャーフィットしているかどうかが自分1人で分かるわけがないから面接をするんだろうな。
カルチャーフィットしている人=カルチャーに共感し、新しいカルチャーを今後作っていける人 と記事には書かれている。
カルチャーのファンになる、その会社に興味がある。
それだけではなくて、だからこそ「その先」のカルチャーの作り手になりたいと願う。
そう言われると、自分が興味がある会社に対して「自分ってこの会社に合うなぁ」っていう感情が勘違いだったような気もしてくる。
「無意識のうちに合わせにいっている」から、「カルチャーに共感できる」と感じて"しまって"いるのかもしれない。
ある意味それは恐ろしいことのような....。
難しいな。「本当に自分に合っている」のかは、人事の方に面接で判断してもらうのではなくて、その中で自分で判断しなければならないのだろう。
自分の人生なんだから、自分の選択を信じなければならない時もある。
なんとなく「就活は孤独だ」と感じている学生が多いように感じるけれど、誰かを信じて頼ってみれば孤独ではなくなるかもしれない。
自分を客観的に見てくれる、大人の存在が必要だ。
学生同士はどちらかがうまくいってどちらかがうまくいかなかったりするとバランスが崩れる。
社会人と学生のバランスは崩れないのだ。だから信頼できるたった1人が、必要だと思っている。
どんな選択をしても後悔しないだけの努力をする、自分との約束だ。