
4.ライバルの存在
私の先生は、「全力」という言葉が大好きだった
この自己満足マガジン、程よく書く気が湧いてこない時にちょうど良いものになってしまった。
久しぶりのマガジン更新=最近は書きたいことが山積みだった ということだから、それはそれで良いのかもしれない。
合唱コンクールで金賞を取るために、結局1番必要だったのはなんだろうか。
みんなが1つにならなくても良いから、バラバラだったクラスメイトが同じ方向を向ければ良い。そうすれば自ずと道は見えてくるのかもしれない。
" One for all , All for one " である必要性は全くない。(というかこの言葉はあまり好きではない)全員が自分のために、でも良いんだ。誰のためでも良いから、同じ方向を向いてさえいれば。
隣のクラスである3年2組は、2年生の時は銀賞。我が3年1組から、金賞奪還を狙っていた。
よき「ライバル」だったのだ。私の中学では、各クラスの教室で応援練習をすることがある。
この応援練習を、合唱曲を練習するための「声出し」を兼ねて、私のクラスと隣のクラスは叫んでいた。
応援練習はいつだって声出し合戦だった。
時には応援歌終了後、「金賞を取るのは俺たちだーー!!」なんて言い合うこともあったくらいだ。
隣のクラスは、「良きライバル」だった。
「良き」の理由は簡単だ。合唱コンクール以外でもライバルでいることができたからだ。
いつだって相手に張り合うことで頑張れる部分がお互いにあったはずだ。
応援練習ひとつでも、負けてたまるか!と頑張る日々が楽しかった。
大声で叫ぶのがなんだか面白くて、練習の途中からみんなで笑ったこともあった。
文化祭の中で開かれるスポーツイベントでは、クラス対抗大縄全員跳びなるものがあった。
「2組は今日〜回跳んだらしいよ!?」なんて先生がみんなを鼓舞することもあった。
「負けて悔しい!」その気持ちは、前に進む1歩だった。
みんなが同じ方向を向いていたこの2クラスは、いつだってお互い向き合っていた。
正々堂々、真っ向勝負。ライバルとして。
ライバルがいなければ、きっとここまで頑張ることができなかったのかもしれないなぁと思う。
私の先生は、「全力」という言葉が大好きだった。
確かにそれは間違いない。でも、わたしたちのクラスは「勝利至上主義」のようなものにまみれていたわけではない。
確かに、1番をとって、3年連続金賞を取ることには意味があった。
でもそれ以上に、みんなが心の底から頑張って創り上げ、歌った歌にこそ価値があったんだと思う。
そんな歌を歌う時間が、誇らしかった。そんな歌をみんなと歌った日々が、今でも懐かしいと思えるのは、やっぱり全力を尽くしたからなんだろうな。
着々と本番が近づく中で、着実に歌が上手くなっていることを感じていた。
「創りたいものを創ることができている」と感じていた。
音楽室という良い環境でできる、最後の練習。
次は、その最後の練習の時のお話だ。