【エッセイ】爽やかな名前
爽やかな。
というシロクマ文芸部のお題を、noteを休んでいて書きそこねて残念に思ったので、何か書こうと思っていた。詩か短い物語を。
でもエッセイ的なことを書いて、今日の自分の心の中に渦巻くものを取り出して、ぐるぐるしている心を解放したいと思った。
さっきから「怒る」「怒り」について考えていた。
sanngoさんの記事を読んでコメントを交わしたからだった。
私はひどいと思われることをされても、怒るというより悲しくなる。怒らない。それは何かダメなことなんじゃないかな?と考えていた。
私はずっと自分が「ダメ」で「バカみたい」だと思い続けていた。
でも最近それをやめることにした。私はダメでもないし、バカでもない。そう思っても大丈夫なのだ。私が自分をダメだと思うと悲しく思ってくれる人もいるのだ。
もうやめよう。全力でやめよう。
そうしたら少し軽い、明るい気持ちで生きていけるはずだ。
でも。
私は本当に怒らないだろうか?
よく夫に怒っている気がする。
ホロスコーパーショーコさんの記事を読んで考えさせられた。
sanngoさんに「私はあんまり怒らない」とコメントしたけど本当にそうだろうか?
私は自営業の家に嫁いできた。嫁ぐ、嫌な言葉だ。
義家族はみんな良い人達で姑もいじわるなんかしない。
完全同居ではない。仕事場の一角に作った部屋で義理家族と別に暮らしてきた。完全同居の人を思うととても楽でありがたい。でも雨に濡れて寒さに震えて母屋にお風呂に入りに行く暮らしをずっと続けてきた。三十年以上続けてきた。不満を訴えたがずっとそのままだった。私の不満を放置した夫と義理家族を恨んでいた。
更に住まいと店が同じなのでお客さんが休業日でも押しかけてくる。
今日も押しかけて来た。夫が対応していたが嫌でたまらない。仕事場と離れた住まい、お風呂のある住まいが欲しかった。ずっと欲しかった。
店が閉まっているのにやって来るお客さんには「怒り」でいっぱいになる。自分が対応するときは大人げなく怒りを隠さない。そんな自分のことも大人げないと責めていた。
これを読んでずっと考えていた。
本当は私はいつも怒っている。
休みを台無しにするお客さんに怒り、自分に怒り、夫に怒り、義家族に怒り、ついでに昔の恨みから実家の母にも怒っている。
私が本当に大事にしているのもはなんだろう?
何を蔑ろにされて怒っているんだろう?
きっと心静かな時間だ。心理的に安心安全な時間。
HSPという言葉が普通に使われるようになった。私は完全には当てはまらないとしても、そういう気質が多分にあると思った。一人で過ごす気持ちの楽な時間が必要だったのだろう。自営だとすごく難しい。最近は少し工夫して作れるようになった。
自信がなかったからずっと、自分の怒りや不満を、自分が招いたこととして自分を責めて傷めつけていた。それをやめて怒りを心に押し込めていない自分になれたら、望む生活が手に入るかもしれない。
自分に自信を持つこと、自分が悪いと思わないことの特訓をしている。
特訓って思う真面目過ぎる自分をまたバカみたいって思いそうになって思いとどまる。
バカみたいじゃないよ!その調子でね。
ちなみに私の名前(本名)は爽やかな子になるように、という意味で母が付けたらしいが、自分ではいつも全然私は爽やかではないと思っていた。めんどくさくてグチグチしていると思っていた。
ついでだからそれも抜け出して爽やかな人になって生きていきたい。
おわり。
*リンクさせて頂いたホロスコーパーショーコさん、sanngoさん、ありがとうございました
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