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川上未映子『黄色い家』中央公論新社
体調がすぐれず一日寝ていたきのう、一日で読んだ。ひょっとして尼崎の事件をモデルにしたものかなとなんとなく思っていて、グロテスクな内容を想像しながら覚悟して読んだため、読み終わっての衝撃はわりと少なかった。殺人もないし、性的な醜悪さもない。前面に出るのはただ、お金、である。
この小説では少女たちが稼いだお金を札束のまま家で保管しているが、これがもし銀行口座にその都度入れていたら、もっと平凡なよくある話になったかもしれない。通帳のお金はただの数字だから。額に汗して働いたり、あるいはずるい方法で楽に稼いだり、どちらにしても積み重なり大きくなる数字を見るのは喜びだろう。それは自分にも簡単に想像できる。(極端なことを言えば、学生時代にテストの点が60より80が気分が良く、100になれば嬉しい。そのために努力するのとさほど変わらない。)札束が分厚くなっていくのを見るのは、数字がより具体的になって触れるものになるので、より実感は伴うだろう。けれど数字を大きくしようとする情熱は同じだ。
そういえば結婚して間がないころは、夫婦二人のボーナスを折半してお互いの口座に入れたりして、なんだか楽しかった。数字が増えるのは単純に楽しいものだ。
もちろん、この小説はそんなのほほんとしたお金の話ではなく、生きていけるかどうかがかかっている話ではある。生まれた家庭の問題、本人の資質の問題、偶然の運不運が小説をドラマチックにしている。でも、変な感想かもしれないが、どうもわたしの場合、読み終わって一番印象に残ったのはお金という数字を増やしていこうとする主人公の女性の生真面目な勤勉さなのだった。火事で燃えたスナックを再建するという当初の目標など忘れてしまって、とにかく数字を増やしていく。真面目に努力していく。もし彼女がずっとひとりでその闇の仕事をやっていたら、もっと順調に進み、そして最後は捕まっていたのではないか。
主人公の花は以前からの知人である年上の女性とさらには偶然知り合った若い女性二人と古い一軒家に一緒に住み、最初はひとりでカード犯罪を請け負って稼ぐ。そのうち二人の女の子も仲間に入れてチームで稼ぐようになる。興味深かったのはそのチームワークが破綻するプロセスだ。それぞれ孤独だった3人は最初は仲の良い友達だったのだが、当然ながら性格も動機も違うので花は二人の態度がだんだん気に食わなくなる。リーダーとして命令するようになり、彼女らの自由を拘束するようになる。だが最後は二人の反逆に遭う。このあたりの変化が面白かった。花は女性で成っているグループのリーダーとしては管理が下手だったと思う。メンバーが男なら、因果を含めて指示すれば従うかもしれないが、女はそうではないのよ。女のグループで女がリーダーになるのは簡単ではない。このあたり、女同士の関係を描かせると川上未映子はとてもうまい。
なんだか変な感想ばかり書いてしまった…。あと思ったのは、この小説が新聞連載だったせいで、全体にあまりしまりがないということだ。それは『夏物語』でも感じた。1回の書下ろしにすればもっときりっとした構成になったのではないか。そう思うと、新聞連載なのにダラダラ感なく書ける作家(漱石とか水村美苗とか)はすごい。
さて、お金である。人間死ぬまでお金は必要だ。大人ならお金についてはいつも考えているべきではある。職種によっては始終数字が頭にある人もいるだろう。自由業で不定期な収入の人も銀行口座の数字が気になるだろう。でもお金のことを忘れて精神的に生きる時間がなければ生きていても仕方ない。金持ち/貧乏に関係なく、そういう時間をどれだけ持てるか。そういう時間こそが一番贅沢なものだという気がする。こうやって1円の足しにもならない駄文を書いているのも、考えたら贅沢な時間なのかもしれない。