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島田潤一郎『長い読書』みすず書房

ひとり出版社「夏葉社」を運営する著者のエッセイ集。彼の人生と、そのときどきの本の思い出をつづったもの。少年時代、大学生時代、そして小説家を目指して苦しんだころ、ブラック企業勤務のころ、そして現在。それぞれのとき、傍には小説があって、読むものも読み方も変化していく。

全体に無理のない、静かな書きぶり。決してカッコよくない、話を盛り上げようとしない、正直で淡々とした文章がつづく。自分が書くことばを、「これでよいか」と常に確認している。(こういう文章を読むと自分のnoteの雑な書き方が恥ずかしくなる……。)

たとえば、編集者希望のアルバイトの若者を短い期間雇ったときの話。こんなことがあった、こんなことが記憶に残った、などと出来事を書きながら、自分がその関係にどこか心残りがあることを(曖昧ではあるが)書き記す。ああ、人との関係ってそういうところあるよねぇと読んでいて思うのだ。

たとえば、アフリカに旅行して、せっかくサハラ砂漠を横断する車に同乗させてもらった話。レゲエばかり流す運転者に彼は持っていたサザンオールスターズのカセットを渡して流してもらう。すると途端にサハラの風景が湘南になってしまう。ああ、せっかくのサハラでもったいない……と読んでいるわたしは思うけれど、でも旅行ってそんなもんだなぁ。ドラマチックなことばかりが起きるわけじゃないのだ。

『長い読書』という書名は同名のエッセイから。仲が良かった義父が入院して、その病院まで電車を乗り継いで見舞いに行く。その長い時間に彼は長い小説をつぎつぎ読んでいた。

「義父はもうほとんどなにもしゃべらなかった。「お義父さん」と話しかけても目を開けるぐらいで、あとはずっと目をつむり、眠っていた。
 いま思えば、義父は日に日に弱っていたのだった。実際、それから一年たたずに義父は老衰で亡くなった。
 当時のぼくはそのことをうまく理解できなかった。だから、その代わりに、一所懸命本を読んだ。
 それはいいかえれば、近くのことがなにも見えなかったから、遠くのものを目を凝らしてみつめた、そんな日々だったのだと思う。」

たしかに、そういう読書もある。


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