村田喜代子『ゆうじょこう』新潮社
だいぶ前に村田喜代子の本を数冊まとめて買ったことがあった。でもこの本は買ってから後もずっと読めないでいた。理由は簡単で、文庫カバーの絵が嫌いだったから。こういう感じの内容なの? だったら読みたくないなぁと、1年以上もそのままにしていた。でもある日やっと、カバーを取って読んでみようと思いたち、そして読んでみたら面白かったのだった。
明治時代の話。硫黄島で海女をしていた少女が九州の廓に売られていく。貧しい親が金に困って娘を売るのである。少女の名はイチ。彼女が買われた廓は幸いなことに街でも上級の廓で、読者が想像するような悲惨な目には遭わなくてすんでいる。極貧の家では見たこともなかったきれいな衣装をもらい、遊女のための学校にも通って字を習い、その廓で最高級の花魁である東雲さんの下で見習いをする。客を取って身体を売る具体的な辛い場面は殆ど描かれないため、正直なところ「わりと楽な暮らしじゃないか」とさえ思ってしまう。
学校で教えてくれるのは落ちぶれた武家の娘、鐵子さん。この先生は無学な遊女たちがこの世界で生きていけるように字を教え、数字を教え、お客に出す誘いの手紙の書き方も教える。イチはこの学校で日記を書くことに喜びを見出すのだ。物語のところどころに挿入されるイチの方言だらけの日記は、どれも型にはまらない、野生の活力に満ちている。鐵子さんは当時の教養人、福沢諭吉の著作を読んだりもするが、身分の低い女たちを見下す福沢の視線に疑問を抱いている。(福沢自身が身分が低い武家出身だったから、そのコンプレックスのためでは、と鐵子さんは考えている。)
また、イチは東雲さんの優雅でクールな姿を称賛する。ひとりの花魁が廓の中でいかに高い地位にいたか、いかに経済力があり知的でもあったかが、イチの目を通して描かれる。この花魁と学校の先生の鐵子が、やがて精神的にむすびつくのが物語の面白いところ。最後は遊女たちがささやかな要求を主人につきつけて、ストライキを行う。
ほんとうの遊女の生活はそんなもんじゃなかっただろう、これはきれいすぎる…とは思うのだが、きれいに抑え気味に書かれているせいでこちらも楽しみながら最後まで読むことができた。『屋根屋』や『姉の島』など、これまで読んだ村田喜代子の小説に通じる、おおらかで力強い女性像がいい。反抗的なイチに、店の者が「そんなことでは畳の上では死ねんぞ」と脅すのだが、彼女は「あたいは なみの上で しにまする」と答える。そんなイチの生命力が嬉しい小説だった。
(ところで、昔の女たちは月経の出血をコントロールすることができたという話をときどき聞くけれど、この小説にもそれに触れた箇所がある。ほんとうにそんなことが可能だったのか、とあらためて驚いた。)