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小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文春文庫

チェスをする少年の物語。彼は普通に相手に対面するのではなく、チェス盤の下にもぐりこんで考えるスタイルを取る。チェスの実力がどんどん伸びる。そのうちにからくり人形の中に入り込んで人形を動かしてチェスを指すようになる。(小説のヒントになっているのは現実にあった18世紀のからくり人形のチェス指し、「トルコ人」だ。)

少年ははじめバスの中に住む肥満した男「マスター」からチェスを教わる。勝つためではなく善い方法で指すようにと教わる。以来、晴れがましい場で指すよりも、地下のチェス組織で指したり、老人ホームで老人の相手をしたりする。それで彼は満足しているのだ。

興味深いのは、物語の中で「身体の大きい者」が何度か出ることだ。デパートの屋上に見世物として連れてこられた子象が成長して身体が大きくなってしまい、一生デパートの屋上で過ごすことになる。それから少年にチェスを教えたマスターは、甘いもの好きでどんどん太ってついにはバスの中で死んでしまう。最後の老人ホームでは院長の女性も極端に大柄な人である。少年は大きくなることは悲劇的だと思い込んでいる。少年自身は成長しても小柄なままで子どもに間違われるほどだ。(この、身体の大きさとは何を意味するのだろう。)

少年は人形の中に隠れてチェスを指すし、どんな場面も人前で目立つことはない。そして無口である。小川洋子の他の小説にも、そんな閉ざされた狭い場所にいる人がよく出る。そして、そんなところにいても、静かに落ち着いて生きる。

つまり、どうも小川洋子の作品の人物は、小柄で、地味、どちらかというと無口なのである。それだけでなく、チェスや数学が得意だったりタイプライターのような機械が好きだったりと、性格的に几帳面であるようだ。また、自分が置かれてしまった状況でも不満を言わず受け入れる。見苦しく抵抗しない。残念ながら読者のわたしはこれらのすべての条件について全く逆なので、登場人物を自分に重ねることがあまりできない。おまけにこの小説の場合、チェスを知らないので、素晴らしい試合の形容として何度か出てくる<チェスの詩>たるものも読んでいて感じられなかった。きっとそういうものがあるんだろうなとは想像できるけれど。

そんな具合で、残念ながらこの小説は読みながら、その進行具合にいつももやもやしていた。そしてもやもやすることが、まるで自分の未熟さの証のような気さえしたのだ。まぁしかたない、相性の問題ということにしておこう。ということで、不完全燃焼で読了です。


追記:自分が読んだ小川洋子の小説で一番好きなのは『人質の朗読会』だけど、あれも究極の「狭い閉ざされたところで静かに考える」話だったなと思う。

もちろん作者は「閉ざされたところに入れ」と言っているわけではなく、どこでどんな風に生きてもそれは所詮「閉ざされたところにいる」ということなのだろう。

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