憧れの出版社に入って憧れの編集者になった私が会社を辞めるまで。②
一昨日は芥川直木の贈呈式だった。受賞者の万城目学さんにお祝いを伝えたくて私もお邪魔することにしたのだが、コロナ禍も挟み、パーティへの参加は久しぶり。長年働いていた会社を辞めてから初めて行くこともあり、やや緊張して向かった。
余談だが、文芸の世界は各社の編集者が顔を合わせる機会も多いので横の繋がりが強く、数年いるとみんな何となく顔見知りになる。私が知る限り、ライバルだからとピリピリした雰囲気はないし、みんなで作家さんを盛り立てていきたいと考えている人が多いように思う。そして私はそんなところがとても好きだ。
一昨日は会場に入るなり、続々と懐かしい顔に会えた。独立したことはほとんどの方にメールで知らせたきりで、なかなかお会いできずにいたのだが、ようやく直接ご挨拶ができた。これまで長くお世話になってきた同業の方達はみんな変わらず温かく、しみじみと嬉しかった。
懐かしい方達に囲まれていたら、会社員時代の私もひょっこり顔を出しそうな気がした。あの頃はどんな顔をしていただろう。きっと顔色が悪くて、今よりもっと早口で落ち着きがなかったんじゃないかな。
というわけで前回の続きです。
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入社して15年近く経ち、希望通り単行本の部署で働くようになっていた。目の前の仕事はいつだって楽しい。文芸編集者として働くようになって時間が経っても、小説はひとつひとつ違うから飽きることはなかった。ただ、どんなに楽しく好きな仕事でもやらなければならないことに追いかけられ続けると息切れしてくる。いつも疲れていて、非常用のエネルギーを無理に使って何とか乗り切っているような感覚があった。
こんなやり方は長く続かない、とうっすら分かっていた気がする。
その頃、一年に一度、ある友人とお互いの誕生日に手紙を送り合っていた。ささやかなプレゼントを贈り、近況を書いた手紙を添える。毎年友人の好みに合いそうな品を選び、喜んでくれるかなと想像するのが楽しみだった。
その年も友人の誕生日が近づき、プレゼントを探した。何を選んだのかもう思い出せないが、昭和レトロなグラスだったか、それともざっくり編まれた素朴な手袋だったか。ともかく彼女が好きそうな何かをみつけて、やっと落ち着いて手紙を書き始めた。
「お誕生日おめでとう。元気にしてる?
こちらは相変わらず慌ただしく過ごしてるよ」
ふと、そこまで書いて既視感を覚えた。あれ、去年も同じことを書いたような……。
たしかに去年も書いた。一昨年も書いたかも……?
記憶を辿ってみて、ぞっとした。一度、二度の話ではなく、10年近く同じことを書き続けていることに気がついてしまったのだ。「慌ただしく過ごしてる」ではなく「バタバタしてる」と書いた年もあるかもしれないけれど、同じことだった。
毎日が慌ただしいというのは、自分の近況を書こうとすると一番しっくり来て、素直に出てきた言葉だ。だからこそ、10年も慌ただしく余裕がない状態で過ごしている(少なくとも己の日々をそう認識している)ことにちょっとした衝撃を受けた。
10年間そうだったということは、その先も変わる見込みはなさそうに思えたのもショックだった。
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この出来事をきっかけに、自分の生活について疑問を持ち始めた。私はこれからもずっと何かに追われるように仕事をして、ひとつひとつ深く考える余裕もないまま過ごしていくのか。
気がつけば40歳も近づき、人生の残り時間も気になっていた。
自分は何を望んで会社に入って、今何をしているのか、この先どうしていきたいのか、ということを折に触れて考えた。
思考をまとめようとする時、私は何でも書き出す癖がある。その時もとりあえず自分の状態を書き出してみた。
✅目指していた新潮社に入れた
✅念願叶って文芸編集者になれた(前回書いたように「出版社に入る=編集者になる」ではない)
✅小説誌、単行本の編集部で経験を積めた
✅文芸編集者としての基礎はひと通り身につけた(まだまだなので、こんなことを書いていると誰かに怒られそう……)
ここまで書くのは簡単で、問題はその先、これからどうなりたいかだった。
会社員として働き続ける場合、定年まで20年近くある。昇進をしたいというマインドはそもそもなく、現場の編集者として仕事をしていきたい気持ちが強かった。
でも、だからと言ってずっと同じように仕事を続けるには問題があった。何も変えなければ、10年先も「慌ただしく過ごしてる」と手紙に書く日常が見えていた。
編集者として働くうちにやってみたいことも見えてきていたけれど、そのまま仕事をしていく延長線上ではできそうにもないことばかりだった。
それも含めて、抱えていた課題を書き出してみた。
✅もっと自分の問題意識を反映した仕事をしたい
✅できる限りマイペースな働き方をしたい
✅愛犬と過ごすために、できるだけ家にいたい
✅会社という枠を超えた活動がしたい
✅これまでと違うアプローチで新しい読者層を開拓したい
✅人生の残り時間を見据えて、最短ルートで仕事をしたい
そして……自分でも残念で恥ずかしく、一番見ないふりをしたかった問題があった。
✅組織の一員として働くのに根本から向いていない
もう残念過ぎて説明したくもないのだが、子供の頃からありとあらゆる集団からはみ出してしまう。だから本が好きになったのかもしれないし、本を読み過ぎたから余計に浮き上がったのかもしれない(池波正太郎を愛読する小学生なんて周囲から浮いて当たり前だったと思う)。
それは会社という組織に所属しても変わらないのだった。
正直言って、私は自分の内面なんて見たくなかった。書き出した課題は本当はずっと前から気づいていたのに見ないふりをしてきたことばかりだった。課題を解決するためには環境を変える以外にはないことが明白で、現状を大きく変えるのはいつだって面倒だし怖い。
出版社を立ち上げたというとよく誤解されるのだが、私は元々起業を志していたような勉強熱心で独立心に溢れたタイプではない。就職氷河期だったのに第一志望の新潮社に入社できたのは宝くじに当たったようなものだし、3年もかけて辿り着いた安住の地を離れるなんて、自分でも正気の沙汰とは思えなかった。
でも、一度問題を正面から見つめてしまった以上、なかったことにはできない。これも自分の残念ポイントで、本当に本当に不器用なのだ。多少の違和感には目を瞑って、もっとうまくやれたらいいのに。
文芸編集の仕事は楽しいし、許されるなら作家さんと仕事をすることは続けていきたいという気持ちは揺るがずにあった。それを前提として考えると、すぐに思い浮かんだのは同業他社への転職(できるかどうかはさておき)だが、私の場合は転職では解決できない問題が多かった。
それに、組織で働く、もしくは組織と働く、ということからできるなら離れてみたかった。10年以上、何とか会社員として擬態をしてきたものの、いよいよ限界を感じていた。
どこにいてもはみ出してしまうのだとしたら、そのはみ出している部分こそが自分の本質なのだという気がした。
そんな人間が文芸編集を続けながら、もっと生きやすくなる方法なんてあるのだろうか。
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……じゃあ、自分で会社作っちゃう?
そんな考えが降ってきた。言い訳するように「あくまで可能性のひとつとして」という声も追いかけてきた。
それが自分の会社を作る、始まりだったように思う。
実際に会社を作るまでの過程についてはまた機会があったら書いてみたいと思う。需要があるかは分からないけど、書いていると色々思い出して、備忘録という意味ではいいですね。