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卒業ソングに想う 〜やっぱり褒めてほしい〜

こんにちは。
いつもお読みいただきありがとうございます。

最近、「同じ境遇です。励みになります。」
というコメントをいただいたり、

無料セッションにご参加いただき、
「不安を自分で作り出していることに気づきました。
具体策が見えて、安心しました。」
というご感想をいただいたり。

私も、こうして出会って
やり取りができる機会をいただいて、
安心、感謝の気持ちです🥹

一人じゃない、

と、改めて感じます☺️



季節柄、卒業式で歌う曲を耳にすることが増えました。
去年の今頃、私は高校で英語教員をしていました。
3年生を担当していたので、
卒業式の練習もすべて参加して、
一緒に卒業の歌を歌ったりもしました。

私は感動しやすいタイプなので、
リハーサルの時点で泣きそうになり、

「先生、もう泣きそうやん🤣」と

生徒たちに笑われたのを思い出します。

「この歌詞がさあ🥹」と話し始めたら、

「歌詞か〜!俺らとの思い出とちゃうんか!🤣」
とツッコまれたりして。

そんなやりとりも今では懐かしい思い出です。

卒業の歌はRADWIMPSの「正解」

その歌詞には、

「君のいない明日からの日々を、

僕は、

わたしは、

きっと・・・」


というフレーズがあります。

去年歌った時には、
「君のいない明日からの日々」が、

自分の人生の現実になるなんて
思ってもいませんでした。

でも今、その歌詞が胸に刺さります。

去年の今頃、卒業の歌を歌って泣いていた頃、
まさか今のように、自分が学校へ行かない日常を選ぶとは
1ミリも想像していませんでした。
むしろ転勤したばかりだったので、
来年度の新しい目標を立てようとしていました。

しかし、
新年度が始まってわずか二週間後、
突然、夫が亡くなり、
私の世界は一変しました。

夫を失い、私の中で、
無意識にどうでもよくなったものがありました。

承認要求

です。


私はもともと1位になりたい、頑張りたい、努力家のタイプでした。
何かを達成し、認められることに一定の価値を感じていたし、
子供の頃から、
「褒められたい」という気持ちが原動力になっていたこともありました。

けれども、夫を亡くしてから、
それらのことがなんだかどうでもよくなってしまいました。
何かを成し遂げることよりも、
ただ「生きる」という

毎日のプロセス


に重きを置くようになったのです。

何を感じて、どう在りたいのか、


これまで以上に

自分にフォーカスする時間

が増えました。


でも、人の心は完全にゼロにはならないものなのかもしれません。
私は最近、ふと「わずかに残る承認要求」を見つけました。
それは、いつかおばあちゃんになって、
夫と再会した時に、

「子どもたちを育ててくれてありがとう、

よく頑張ったね。」


と言ってもらいたい。
そんなささやかな承認欲求です。

6歳と9歳の子どもを育てる日々。
これから続く子育ての道のり。

私は、今、

夫がいないこの世界で、

子どもたちを守り育てています。

自分の人生の楽しみの一つです。


「RADWIMPSの「正解」。

「君のいない明日からの日々を、

僕は、

わたしは、

きっと・・・」


きっと・・・・


どんな歌詞を書きますか・・・。


夫のいない明日からの日々を、私はきっと

生きる


そして、また会う日まで、
自由に行きたいところへ行き、
会いたい人に会い、
新たなチャレンジを繰り返す。

もちろん、子どもたちと共に。


13日は、息子の7歳の誕生日。

7歳になるまで、無事育てたよ。

「7歳になるまで育ててくれて、ありがとう。頑張ったね。」

と。

やっぱり、毎年、褒めて欲しい。

いや、もう、感謝してほしい!!!😆


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