有川浩『塩の街』感想/「シンプルに真奈が気に食わん」
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久しぶりに小説を読んだ。その流れでふと思い立って読書感想文のようなものを書いて見たら、思いの外長々と書いてしまったので、せっかくなのでnoteへ投稿する。
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はじめに断っておくが私はあまり本は読まない。日常生活におけるプライベートな時間の大半を占めている趣味はゲームで、時間があればゲームをしている。読む本と言えば仕事関係の技術書か雑学やクイズを集めたような本、あとは漫画がほとんど。
そんな中で私がこの(分類上はおそらくライトノベルになる)小説を読もうと思った理由は、友人に勧められたからだ。友人とは言っても所謂インターネット上の友人というやつで、顔と名前どころか知っている情報は年齢と職業くらいしかない。それを友人とするかは個人の感覚によるだろうがむしろ、それくらい情報がない相手に勧められたからこそ勧められたものを素直に読んでみようという気になったことろは大きい。
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さて、この有川浩の『塩の街』を読んだ直後の感想は例えるなら「肉まんだと思って食べたものがあんまんだったような気分」だ。ちなみにこの本は電撃文庫版とハードカバー版で一部大きく改稿されているらしく、私が読んだものはハードカバー版(正しくはハードカバー版を角川文庫移籍にあたって再文庫化されたもの)である。
どういった物語か簡潔に説明すると「空から巨大な塩の結晶が落ちてきた日から人々の体が塩に置換されていく病、”塩害”によって人類は大きく数を減らした世界で生きる人々を描いた終末モノ」といったところ。とは言ったものの、実際には「終末モノ風な味付けのラブストーリー」だったので面を食らったのだが、どうやら有川浩の書く物語は恋愛描写がウリでもあるらしいので私のように普段本を読まない人ではないと、この「肉まんあんまん現象」は味わえないかもしれない。
主要人物は塩害によって両親を亡くした女子高生の真奈と、真奈を助けた経緯から保護者となった元航空自衛隊の青年・秋庭で、この二人とその恋愛模様を中心にストーリーが展開されていく。
全体の流れを大きく分けると三つ。第一部は恋人の塩害による亡骸を抱えて海へ向かう青年など、真奈らと出会った人が塩害によって死にゆく話。第二部は秋庭の学生時代からの悪友・入江の研究により塩害の正体が判明し、それに立ち向かう話。第三部はアフターストーリーとなっている。このアフターストーリーは電撃文庫版には収録されておらず、その分ハードカバー版では編集者の意向で追加された第二部の終盤が大きく削られていて、ハードカバー版が当初の原稿に近いということになるらしい。第二部では塩害の原因が塩の結晶や塩化した遺体を直接視認することによる自己暗示(ジョジョ6部のヘビーウェザーと同じ理屈といえば伝わる人には伝わるか)と判明し、塩の塔を戦闘機での爆撃をもって破壊するのだが、その攻略作戦の様子はハードカバー版では一切描かれていない。ここで初めて作品と私の作品に対する認識の差に気付き、冒頭で述べた肉まんとあんまんの話に戻るわけだが、この点に関しては私の読み方が間違っていただけでもう一度解釈しなおせばこの作品の面白さを味わえるだろう。
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その上でこの小説を読む中、最も気になった部分は、物語の中核であるはずの真奈がマクガフィン(動機のための、それ自体は他のものと置き換えても構わない小道具)的な人物だと感じられたことだ。真奈と秋庭は塩害の後出会って数ヶ月暮らす中でお互いに惹かれ合い、物語序盤の真奈の身の危機によってお互いその感情に気付く。やがて秋庭は「真奈のために」入江とともに塩害へと立ち向かう、有り体に言えば「世界を救う決意」をするのだが、当然航空自衛隊の秋庭と違い一介の女子高生に過ぎない真奈は塩害への抵抗には一切関与しない(できない)。しかしながら主人公寄りの立ち位置に描かれていて、そこと物語を通しての存在理由の希薄さのギャップが違和感として残ってしまった。
逆に真奈が関わらない部分、第一部の青年やアフターストーリーで描かれた自衛隊内の夫婦のエピソードなどはとても終末モノらしい雰囲気でかなり好みだった。
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というわけで全体の感想としては「シンプルに真奈が気に食わん」に帰結してしまう。そのため、この作品の大枠のテーマとして感じ取れた終盤の入江のセリフ。
「愛は世界なんか救わないよ。賭けてもいい。愛なんてね、関わった当事者たちしか救わないんだよ。救われるのは当事者たちが取捨選択した結果の対象さ」
要約すると「愛がついでに地球を救う」といったところだが、これが言いたいために書いたんじゃないのか感が拭えなくなってしまった。秋庭と真奈の物語におけるパワーバランスが逆だったり、もしくは秋庭の方が主人公的に描かれていたらもう少し見え方が変わっていたかもしれない。