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点ではない、線のしあわせについて考えた話。

しあわせ、といったときに読者の方が思い浮かぶのは点の(スポット的な)しあわせですか?線の(一定期間続く)しあわせですか?

今年の目標を考えていたときに、ふと、私が求めてる幸せって、点だっけ、線だっけ?という思いが浮かんできた。

おそらく多くの人が、線の、一定期間続く幸せを願っているのではないかな。かくいう私もその1人。
しあわせな時間は長い方がいい。

だけど、よくよく考えてみると、線の幸せってなんだろう。

線ではなく、点の幸せは分かりやすい。
「お誕生日に旦那がケーキとお花でお祝いしてくれた。」
去年の私の誕生日のこと。
写真で思い返すと本当に幸せを絵に描いたような私がいる。
だけど、残念なことに、私は点の幸せを覚えておくのが苦手だ。
文字通り、点で、通り過ぎると忘れてしまうのだ。

じゃあ、線の幸せって何だろう?
線の幸せは、点の幸せよりもおだやかなもの?

うまく言葉にできていないけど、なんとなく感じるのは、線の幸せはきっと、点の幸せのような高揚感とはちょっと違う、もっとじんわりあたたかいものなんだろうな、ということ。

今日、息子がとても嬉しそうに遠足に向かったこと。
前の日からわくわくが止まらない息子をみて、私も微笑みたくなる気持ち。
私が早起きして作ったお弁当をとっても大事に抱えて走って家を出ていく息子の後ろ姿。

そういうもの、全てがきっと、振り返ると宝物のような幸せなできごとなはずなのに、その最中にいる私はあまりにもその幸せに対して鈍感だ。

あれ、もしかして、線の幸せを得るには、点の幸せよりも高い感度が必要なのかも?
自分で幸せを積極的に見つけ出して、幸せだ!と感謝するものなのかも?

いうなれば、点の幸せが受動的なのに対して、線の幸せは能動的なものなのかも?

今ごろ、遠足のいく先でお友達とお弁当を広げてるであろう息子のことを思いながら、そんなことを考えていた5月の気持ちいい昼下がりでした。

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