場面緘黙だったあの頃
幼い頃母が離婚した。何年かたった頃、母は再婚し、私には義父ができた。
小学生の頃、義父の仕事の都合で県外へ転校することになった。
それまでの私はひょうきんで、元気いっぱいの女のコだった。
転校した初日、私は図工で使うハサミを忘れ、でも隣の子に話しかける勇気が出なかった。
それがキッカケなのかは分からない。それから私は学校で話せなくなった。
声が出せない。言葉が出ない。最初に喋らなかったのに、今さら喋ったら変に思われるし恥ずかしい。そんな気持ちが心を支配していた。
家族には言えなかった。ちょうどその頃弟が産まれ、母は弟をすごく可愛がっていた。
私ももちろん弟は可愛かったけど、いつもいい子だった私はほったらかしで寂しかった。
そんな気持ちを母に話せれば良かったのだろうけど、私にはできなかった。いつも元気で何も問題はない顔をしていた。
母親になった今なら分かる。
母親なら気づく事ができるはずなのに。
寂しかったね。環境がいきなり変わってストレスだったね。側にいるから大丈夫だよ。
そう言ってほしかったよね。一人で頑張ってたんだね。辛かったね。
あの頃の私にそう言って抱きしめてあげたい。
そしたら何か変わってたかも。頑張って話そうとおもったかも。何か解決策が見えたかも。
今はそう思う。
そんな日々を小学生時代は過ごした。幸い友達はいたし、みんな私に優しくていじめられることもなかった。
中学生になるタイミングで地元に帰る事になった。
その頃の私は話さない事がおかしいのは分かっていたし、きっかけさえあれば話したい。自分変えたい。
そう強く思うようになっていた。
転校し、環境がまたガラッと変わった。それは私にとっていい方向にいってくれた。
転校初日、今度は話しかけられたらちゃんと話せたのだ。
自分でも驚くほどスムーズに言葉は出た。心はとても軽くなった。本当にすごく軽くなった。話すのって楽しい!嬉しい!
私にいつも重くのしかかっていたもの。
友達と話せない自分とサヨナラできた。
やっと最初の一歩を踏み出すことができたのだ。
これが場面緘黙という病気だと言うことを大人になり、あるテレビ番組で知った。
場面緘黙の特集がされていて、見ていて衝撃を受けたし、涙がでた。
同じ事で苦しんでいる子がいるんだ。病気だったんだと分かったら少し心が軽くなった。
それからの私は人前で話せなくなる事もなく、それなりに普通に毎日を過ごす事ができた。
友達もできたし、彼氏もできた。
彼氏から旦那になり、可愛い子ども達にも恵まれた。
それはとても幸せな事に思う。
あのとき転校して事が転機になり、私は自分を変える事ができた。
環境の変化は一方でものすごくスレトスになり、一方ではいい方向に向かう事もあるのだ。
これからも悩む事があると思う。
何か小さな一歩でも、ほんの少しの変化でも。
勇気は必要だけど。また一歩踏み出してみよう。
そう思えるようになってとても嬉しい。
#一歩踏み出した先に
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