素人が、ダンスの路上パフォーマンスをはじめてみた
ちょうど1ヶ月ほど前、ふと思い立って、ダンスの路上ライブをはじめてみた。
路上ライブというのは、わりとよく見かけるものではある。
駅前なんかを通っていると、喧騒に混ざって誰かの歌声が聞こえてくる。声のする方を見ると、マイクを握りしめて懸命に歌うアーティストの姿があって、人々が立ち止まったり、通り過ぎたりしている。よく見かける光景だ。
私も、駅の雑踏に紛れる一人の人間として、
「なんかいい声だな~」とか、
「うーむ、頑張ってるねえ」とか、
「この人の歌はあまり好みではないかな…」とか、
好き勝手な感想を思い浮かべながら、その場を通り過ぎる。「見ている側」からすれば、なんのことはない、ひとつの日常の風景だ。
だけど、いざ自分がやってみるとなると、これがなかなか勇気のいることだったりする。
ふと思い立ってはじめた路上ライブ。
だけど、それをいざ実行するとなると、とてつもなく腰が重たくなった。
(逃げたい…)
そんな思いが、ずっと頭の中でひしめいていた。
でも、なんとなく、やらないといけないような気がした。
やらないと、後味の悪さだけが残って、気持ち悪い思いを引きずるに違いない。自分のことが信頼できなくなるに違いない。
それでも、やっぱり怖いものは怖かった。恥ずかしながら、ライブをする準備を万端に整えて駅まで来てみたものの、何もせずに引き返したこともあった。
なぜ路上ライブ?
私はプロのダンサーではないし、それを目指している訳ではない。普通に仕事をしている。「夢を追いかける」ような年齢でもない。
けれど、昔から踊ることは好きだった。小学生から高校生までバレエを習い、大人になってからは、ジャズダンスやコンテンポラリーダンスを習った。今は、自分の好きな音楽に自分で振り付けをつけて、SNSやYoutubeに時々動画もアップしている。一人前の、素人ダンサーだ。
そんな私がなぜ、路上ライブをはじめたのか。
それは、人生の景色を変えてみたかったからだ。
自分を表現して生きる、ということをずっとやってみたかった。
仕事やお金になるとか、ならないとか、そんなこととは関係なく、自分の生活の中に「表現をして誰かに届ける」という活動を組み込みたかった。
SNSじゃダメなのか?
「自分を表現して生きる」なんて、SNSでいくらでもできるじゃないか、と言われるかもしれない。もっともだ。
でも、私にはそれができなかった。まだ、完全に諦めた訳じゃないけれど。
投稿しても、全然再生されない。毎日雪崩のようにネットの海に放たれる投稿の数々に埋もれないような作品を、まだ作ることができていない。一時期はSNSを頑張ったこともあったけど、誰かに届いている感覚が一向にせず、苦しくなって挫折した。
だからこそ、「路上ライブの方が“確率が高い”んじゃないか?」と思った。確率とは、自分の踊りを面白がって見てくれる人に出会える確率だ。
SNS上には、女性が踊る動画はたくさん溢れているけれど、道端で一人で踊る女を見かける機会はあまりない。技術も実績も知名度も何もない私が誰かに興味を持ってもらえるとしたら、SNSよりも路上ライブの方が確率は高いのかもしれないと思ったわけだ。
実際に、やってみた
本当にやってみたら、どうなるんだろう?
途中で警察に止められるんじゃないか?通りすがりに暴言を吐かれるんじゃないか?空き缶を投げられたりするんじゃないか?いや、物珍しさがあいまって、意外と人だかりができたりして…?
どうなることか、まったく予想がつかない。何もかもが未知数だった。
でも、実際にやってみたら、心配するようなことは何もなかった。警察も来なかったし、変な人に絡まれることもなかった。もちろん、人だかりができることもなかった。
「まあ、なかなか立ち止まってはもらえないだろうな」とは思っていた。
看板を立て、音楽に合わせて踊り、踊りを止めて撤収するまで、誰にも話しかけられることなく、全部ひとりきりで行う。そんなことも想像していた。けれど、実際はそんなこともなかった。
確かに大概の人はスルーだったけど、立ち止まってくれる人が全くいない訳ではなかった。どの駅でも、2~3人くらいは、きちんと立ち止まって見てくれて、話しかけてくれる人もいた。お金を入れてくれる人もいた。
自分のことながら、ちょっと意外というか、嬉しいけれど、他の人に起こった出来事のような、不思議な感じがした。
人目が気になって踊るどころじゃなくなるかもしれないとも思ったけれど、踊り始めてしまえば、ドキドキも居心地の悪さも吹き飛んだ。
夜の風の中で、楽しく踊ることができた。
体力的には、キツかった。暑いし。
用意していた曲は3曲だけだったけれど、それを一通り踊ったら、立てなくなるくらい息切れした。音楽などの路上ライブは、だいたい1~2時間くらい行うのが普通のようだ。3曲じゃあまりにも少なすぎるから、体力的にもしんどくならずに踊れる作品も準備して、レパートリーを増やしていこうと思う。
自分に足りないものも、見えてきた
すごーく当たり前のことだけど、私のダンスに足を止める理由がない、ということも身をもって納得することができた。自虐でも謙遜でもなく、本当にないんだろうな、と思った。
だからこそ、何かを感じて足を止めてくださった人々の存在は本当にありがたかった。
ライブの様子は動画に残すようにしていた。撮った動画後で見てみると、自分がいかに「人に見せる(魅せる)踊り」をしていないことが一目瞭然で分かった。
街頭演説で例えるなら、通行人に呼びかけ、自分の訴えを伝える演説なのではなく、
ただマイクを持って独り言をつぶやいているだけの演説。通行人にその人の声は耳に入るっているけど、その人が何を伝えたいのかがまったく頭に入ってこない。だから、耳を傾ける気にもなれない。そんな踊りを、私はしてしまっていた。
「これじゃあ、なかなか立ち止まってはもらえないよな…」
こんな踊りを公衆の面前でさらしていたのかと思うと、恥ずかしくなった。
上手い・下手は関係なく、人に伝える踊りをしていない。
だから、SNSも伸びなかったのかもしれない。
自分の課題が、ひとつ見つかった。
今後の目標
今後も、路上ライブにチャレンジしていきたい。
今は、路上ライブ用に新しく曲の振り付けをしている最中だ。
ライブを始めたての時に踊っていた曲は、やらないことにした。
どんなライブにしたいのか、自分なりに見えてきたから、1から振り付けを作り直すことにした。今は3曲ほど、出来上がっている。
いつもの日常の風景の中で、「小さな幸せ」を感じてもらえるようなライブがやりたい。
道を歩いていてちょっとかわいい花を見つけた時とか、何気なく見上げた空がきれいだった時みたいな、そんなちょっとした幸せだ。
凄い技術やテクニックはないけれど、「ちょっと良いものが見れたな」と思えるような、そんなライブができるように、作品づくりや練習を頑張っていきたい。
この活動がいつまで続くか分からないけれど、次のステップが見えてくるまで、精一杯チャレンジしていこうと思った。