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オレは、自分を超えるんだ。って拳を見つめた感覚。拳? 掌かな?

今日は、どういう仕事をしていくか、じっくり考える機会に恵まれました。

どういう仕事って書くと、時給とか年収っていう数字的な響きを含みそうですね。
それが含まれててもいいのですが、そのずっとずっと奥のことだったのかなぁ。もしかしたらずっと手前なのかもしれないんだけど、ともかく、なんというか、仕事をするって、どう生きていくかってことなんだなぁ、って改めて思ったのでした。

心の軸とか、自分の志とか、自分のビジョンとかを
大事にしながらお仕事をしてきた方なんだなぁ。
すごいなぁ。
と心から感心してしまいました。

感心するっていうことは、ワタシにはないか薄いから感心するのかもしれないなあ。ってことは、ワタシはそこを求めていることなのかなぁ。
と観察しながら聞いていました。

ワタシは、noteを書くとき、いったい誰に向かって書いているんだろう?

「集客意欲をむき出しにしてるつもりはありませんが、かといって集客してないわけでもないですー。察してください。感じてください、密かに販売してるんですぅ」
みたいなニュアンスで書いてないだろうか?

はたまた、ワタシはこれを売ってるんで買ってください。理解してください、聞いてください!
って選挙カーみたいになってないだろうか?

さりとて、え? ただのボヤキと日記を書いてるだけじゃないの? これビジネスツールなん? って思われてないだろうか?

すべからく、読み手もいないのにまるで鍵垢に呟くかのように、孤独なささやきになっていないだろうか?

答えは、風の中……って小泉今日子が歌ってたっけ。

いまのワタシにはわからないので、答えを想像することはせず、
今日から、このnoteをかく自分自身の魂にたいし
誠心誠意、ウソのない自分で、向かい合って行こうと思います。

できることだけする。
書けることだけ書く。
行けるとこだけ行く。
買えるモノだけ買う。

それはもう、充分にやりました。そして十分に楽しんだし、満ち足りた。
だから、もうちょっとだけ背中を伸ばし、上を向いて、宙を見上げて

してみたいことをして。
書きたいと望んでいるくらいのところまで書き。
いきたいけどどうだろってとこまで行こうと思います。

それは場所とかモノとかってことではないんです。
ほんと、魂のって言葉くらいしか浮かばないんだけど、魂のって感覚が喜びそうなことなんだろうなぁ。

書ける物語を書くことは、もうやり終わったじゃん。
なら、書けるかどうかなんてわからないけど、自分を超えて書くとかしてみようよ、オレ! そんな感覚です。

そういう時間を積み重ねた先に、どんな自分がいるんだろうね?
楽しみだ。

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