先生がアフガニスタンに注目する理由
今日話してたことのメモ
1. ヘラートを中心とするイラン的アフガニスタン、中央アジア的アフガニスタン、カーブル的アフガニスタン等、複数のファクターがアフガニスタン内に潜在しているにもかかわらず、どれも表立って独立しようと言い出さないところが興味深い。
2. タリバンは武力で国を征服した。しかし、実際の国の統治は、武力ではどうすることもできない。武力征服のあと、どうするつもりだったのか?誰が統治するのか?法律は?人材は?
3. IS-Kという言葉がある。
Kは、Khorasan(ホラーサーン)の頭文字だ。
英語ではIslamic State of Iraq and the Levant – Khorasan Province、日本語ではイスラム国ホラサン州として呼ばれることがある。ここでいうホラサン(Khorasan)とはイランの一部(北ホラーサーン州、南ホラーサーン州、ラザヴィー・ホラーサーン州の3州)にとどまらず、アフガニスタンやパキスタンの一部を包含する地域(かつてのホラーサーン)を示す。
上記はIS-KについてのWikipediaの説明だ。
ホラーサーンについて、この説明は正しいか?正しく説明できる学者が、日本にどのくらいいるか?
ホラーサーンとは、中世のころから、イラン、中央アジア、アフガニスタンを呼ぶ広い地域名称だった。
3. アフガニスタンという単語は「アフガン人の国」という意味だ。アフガン人とは、もともとパシュトゥーン人を指す言葉だった。
4. アフマドシャー・ドラーニーが1747年カンダハールを陥落させてドラーニー王朝を建てた。このとき、アフガニスタンと名乗らなかったのは、「アフガン人(パシュトゥーン人)の国」と限定しないようにするためだった。ホラーサーンの人たちの国だったのだ。