未来を望む時間
2年前に入っていたオンラインサロンで書いた人生計画書
あの時、毎日にワークに取り組み
自分の人生の目的は何であるか、を必死に見つけ出そうとしていた
でも、それがいつか息苦さに変わり、
葬りたくなり、
人生計画書なんて見ることもなかった。
最近、ふとした時にパソコンにデータが残っていたのを見つけた。
開いてみて、びっくりした。
2021.11に書いた人生計画書
2022年のところに書いてあったこと
今年叶えた部分もあるけど、結構叶ってた
叶ってないものたちは、
当時なんとなく良さそう〜って思って書いた
わたしの望みではなく、完全に人の意見に流されて書いたものだった。
(当時は必死に探してたけど、今ならこれ違うわって瞬時にわかる笑)
本当に願ってないものは、叶わないんだね〜
来年用の手帳についている
10年に及ぶライフイベントのワークがあって。
はじめはこんなの使いずらいなーって思っていた。
だけど、それはわたし自身が未来を望むこと、
未来を思い描くことから
ただ逃げていただけだった。
いつからか目標とか立てるのが苦手で
未来を望むことが苦手だった
だって願いを放って叶わなかったら
恥ずかしいから。
情けないから。
叶わないのは自分の努力が足らなかったからだとずっと思ってきた。
だからこそわたしは
自分のやりたいことのためには
めちゃくちゃ努力をしてきたよ。
部活でもレギュラーになれるように
強いチームに勝てるように
受験もちゃんと受かるように
必死に必死に努力してきたんだ。
情けないって思いたくないから
恥ずかしい想いはしたくないから
そして、難なくクリアしてきてしまったんだよね
(全然"難なく"ではないけど笑 めっちゃ必死やったけど笑)
あ、でも書いてて気づいたけど
本気で願ってたから叶ってきたのか。
努力したから叶った。
それもあるけど、
本気の本気で願ってたから叶ってるのか。
『失敗したから恥ずかしい』が表面的にバネになってたかもしれないけど、潜在的には
本気でそれを叶えたいと思ってたのかも。
受験とかみんな本気で願ってそれを叶えるために必死に勉強してるけど
必ず落ちる人がいる。
それは本気じゃなかった…なんてことは決してないんだけど
わたしの受験(特に大学受験)なんかは、
本当に奇跡的な合格だったもんな笑
ちょっと話は逸れてしまったけど…🙇♀️
とにかく叶えなければいけないから
叶えられそうにないことは願ってはいけない。
って意識的に望みを押さえつけてきたんだ。
そんなわたしだったけど、
この手帳のライブイベントワークをキッカケに
10年先まで見ることを始めた
そしたら、人生計画書が出てきたんだよ。
そこに書いてあった10年後の願い
そこに書いてあった願い(計画)は
今までも、すごくしっくりするものだった。
あぁ,わたしはこうなりたかったんだって。
すっかり忘れていた
目の前の忙しさや
目の前の数字に囚われていた
わたしの願う場所はそこではない。
また人の願いや望みに翻弄されて
溺れかけていた
揺れ動いていたわたしの軸が
思い出したことで、スッとまたまっすぐ未来に向き始めた
そうしたらさ、不思議と
どんどん自分の夢ややりたかったことを思い出す機会が降り注いでくるんだよね。
世の中って本当にすごい。
そして宇宙はすべて与えてくれている、という言葉の意味がしっくりとした。
今、未来を思い描く機会が自然と訪れている
ずっと避けたけど、
今そういう時なのかもしれないな。
【今】はもちろん大事だけど、
今に追われてばかりいる時間を
少しでも【未来】を見る時間を作る
手帳やノートを汚しながら
思いっきり未来を想い描くのだ。