善と悪。自分の中にあった2極化を手放してみた。
自分が何に反応しているのか
事実かまぼろしか。
そこを見分けられたら、
自分がどんどん身軽になっていくのを感じた。
生きにくさを感じていたのに、
子どもたちとこんなに
楽しく夏を過ごせているなんて、、、
□■□■□■□■□■□■□■□■
ベランダプールをしていた時に、
息子に思いっきり水をかけられた。
イラッとするより、
ビッショビョショになりながら
わぁ!!!と子どもたちと遊べたとき、
心が解放された。
『この感覚!!!
わたしの心が欲していたのはこの解放感だった。』
細胞たちが弾けた。
ちゃんとしてなきゃいけない。
そんな心がほろほろと緩んで
細胞から解放されていくのを感じた。
わたしはずっと事実に対し、
まだ起きていないこと、
何にも言われていないこと、に対して
これをしたら、こんな風になるかもしれない
これを言ったらこう言われるかもしれない、
こう思われるかもしれない。
親なんだからちゃんとしなければならない。
あれこれ、そんな妄想にエネルギーを注ぎ
そうなったらどうしよう、と
まだ起きてもいない妄想話に不安になり、落ち込み、焦る。
その不安に対して、先回りの対策を考え
対策を考えているのに、現実がうまくいかないとイライラする。
要するに、まぼろしに対して右往左往し、現実を見ていないのだ。
現実を、見ているようで
自分の頭で想い描かれているまぼろしと
毎日毎日対話し、まぼろしに怯えて、震えている。
ちゃんとするって一体どういうことなんだろうか?
そんな日々を送っていた。
特に子どもが生まれてからは、ずっと。
目の前にいる子どもではなく、
子どもにたくさんのまぼろしをくっつけて見ていた。
わたしはこんなにいろいろ考えてるのに
夫はなんてのほほんとしているんだ。もっと考えてよ。未来を見据えて見てよ。
そんな風に思ってたけど、
わたしはまぼろしに対してムダにあれこれ考えて
イライラしてただけだった笑
先週のしあわせと豊かさの講座の中で
この仕組みにやっとやっと気づいた。
そしたらね、いかに自分がまぼろしに怯えていたのかがわかったんだよね。
夏休み中の息子と娘の2人と1ヶ月過ごすって
考えただけでゾッとしてたけど、
この仕組みに気づいたらすごく楽に過ごせている
例えば、YouTube。
見せたらダメっていうのも、誰が決めたわけでもなくて、
自分で見せたらよくないって決めつけていただけ。
YouTube見せてたら、この子の将来が心配なんて考えてたけど、
YouTube見せる、見せない関係なく、子供の将来なんて分からないし、
わたしが想像できないくらい未来は無限に広がっている。
それなのにわたしがあれこれ勝手に決めつけて、
見るのを我慢させたり、
イヤイヤ言う子どもと戦って、わたしまでイライラしたり、
YouTube見せてるわたしはダメな親だ、、、なんて自分を責めたりして、、落ち込んだりイライラしたりするより
一緒に観てたら、あれこれ一緒に話をするネタになったし、
YouTube見てる間に
家事が自分の思い通りに進んだり、
ちょっと自分も休めたり。
そしたらまたhappyで。
ある程度見たら子どもたちも飽きるしね笑
3食のごはんも大変だ〜って思うなら
毎食頑張らないことにして
3人で外食とか、今まで怖くて、めんどくさくて、不安で、チャレンジできなかったけど、
ゲーム感覚で、どこまでできるかなーって
チャレンジしてみたら、
全然3人で外食もできちゃったし、
息子がすごく成長してるのも感じることができた。
なんか今まで自分を苦しめてるのは子どもたちだ、なんて思ってたけど、
わたしを苦しめてたのは、
わたしだったことに気づいた。
気づいたら簡単だった。
たくさんの〇〇すべき!
を自分に課してたのは自分だったんだから
わたしを解放してあげる。
子どもたちに〇〇はダメーって言った時も
なんでダメなんだろう?って
ひと呼吸置いて見たら
全然ダメじゃなかった。
それに気づいたら快くやらせてあげることができた。
自分の中にたくさんあった善と悪。
その2極化から自分を解放してあげる
事実として情報は知っておく。
だけど、それはそれで、
そのせいで現実が悪い方へ行っていると
深掘りしていくから見えてこない。
本当に、それはが原因かはわからない
できればなんの苦労もなく
進めたらラッキーだけど、
何かあったとしても、その経験がプラスになる。
そのくらいの軽い気持ちで生きていれば
どんな人生もしあわせに満ち溢れる。
わざわざ絶望感に浸らなくていいんだ。
悲劇のヒロインにわざわざならなくていい。
事実、はいそれだけ。以上!でいい
自分でも信じられないほど
心地よく過ごせている夏休み。
まぼろしを、手放して
もっともっと純度高く、
自分の願いを叶えていくぞー!!!!