牢獄という暴力的な狂気の中で、身体と心の自由を手にした男の話
プリズナートレーニングという本を読んだ。
本の概要
キャリステニクスと呼ばれる自重力トレーニングのトレーニング本
こんな人におすすめ
- ステイホームでの運動法を探している人
- 古から伝わる本物の強さを身につける方法が知りたい人
- 監獄の中で生き抜いた男の独白を目の当たりにしたい人
キャリステニクスになぜこうも惹きつけられるのか?
キャリステニクスは古から伝わる自分の体重を使い、身体を極限まで開発する技術だ。一種のトレーニング法ということなのだろうが、自重力トレーニングと考えてしまうと、いかんせん地味だ。
しかし私は身体を鍛えるなら、これしかないと思えるほどに、キャリステニクスに惹きつけられた。そしてそれがなぜなのか疑問に思った。
生物を成り立たせているシステムの話になる。
生物は個々の機能が複雑に絡み合い全体として系を成している存在であると言える。私たちの身体の動作においても、筋肉、骨、腱、神経系、脳などの機能が複雑に関連しあい、その結果としてひとつの動作を生み出している。
このような形をとることで、人間は様々な動作をすることができ、イレギュラーにも対応できるようになったのだろう。
著者のポールはキャリステニクスは、複数の筋肉群を協働的に動作させるトレーニングだといった。
ポールはトレーニング法として「BIG 6」とよばれるキャリステニクスから着想を得た6種類の基本的な自重力トレーニングの動作を上げており、この動作のそれぞれをより難しいものへステップアップさせていくことで、全身を強靭なものへと変えることができるといっている。
6種類の動作で全身の筋肉を動かさないといけないので、1種類の動作で動かす必要のある筋肉が多くなるというのは当然なわけだ。
そう考えると、キャリステニクスの身体の動かし方は、こうした生物の本来の動作のメカニズムに近いものがあるといえる。だからこそ、そのメカニズムの恩恵を賜り、より自然に、そしてより効果的にできるトレーニングができるのであろう。そこにキャリステニクスの価値があると私は思っている。
またキャリステニクスでは、体全体を協働して動かすために、精神的な集中力が求められる。そうした自分の身体を思い通りに動かすための、自らの身体の声をきき、自らと向き合う精神活動を含んだ体験はなかなか得難いものだ。だからこそ心を奪われているのだろう。
誰からも奪われない自由
私は、誰かと一緒に過ごす時間よりもトレーニングする時間を好む
これは著者のポールが語った言葉の一つだ。
牢獄の中で人と人が搾取し合う関係というのが当たり前の環境の中で、トレーニングだけが彼の心の拠り所になったのだろう。
私はその凄惨な状況のなかで、懸命に足掻いていたポールの姿に目頭が熱くなったと同時に、各々が得ることを選択し努力すれば必ず手に入る、どんな状況においても奪えない自由があるのだと知った。
私たちの生活の中にも監獄ほとではないにしても、辛いことはあるとだろう。無意味に思える仕事を続けなくてはいけなかったりだとか、人に裏切られたりだとか。しかし、どのような状況においても決して折れずにしなやかな心で穏やかに過ごす自由は、確かにある。
いきなりこの自由を手にすることは難しいだろう。人は即座に何でも手に入れるわけではない。自分を整え、求めるものに向かって進んでいくことで、初めてそれを手にする権利が与えられる。
こういった希望は種のようなもので、日々の生活の中で心に水を与え、育てていくことでこの自由も手に入れることができるようになるのではないだろうか?
そういうものを育てていきたいものだ。
PS
最近育てるという考え方に注目している。
すぐさまにでる結果がでる行為に飛びつき、転々とするの(快楽主義にはしった行動とでもいうのでしょうか?)を良しとするのでなく、日々の規律を持った生活の中で積み上げて高めていくことに価値をおいていく考え方だ。
読んではいないが、「LIFE SHIFT」という本にのっている「無形資産」という概念がこの積み上げて高めていくものに近いもののように思っている。
時間があれば「LIFE SHIFT」も読んでみたい。