イタリアにも「マルハラ」が存在?!
割と最近、「マルハラ」という言葉を知った。というかそういう感覚を知った。
↓インターネットのマルハラ定義より。
マルハラとは「マルハラスメント」の略です。たとえば、「です。」「ます。」などの末尾に句点をつけてメッセージを送ると若者は恐怖や不安を覚えてしまい、ハラスメントになるということで、マルハラスメントと呼ばれています。
うわ、わたし、普通に文末に「マル」しっかりつけてました。
まあ、仕事でLINE使うこともないし、主に同年代との交流なのでなんら不便感じてなかったが。
たとえば若者が職場の上司に「すみません、少し遅れます」などのLINEに上司が「了解です。」などと文末にマル付き文章返すと、若者は上司の怒りをその「マル」に読むらしい。
むむむ。考えたこともなかった。
以後気を付けて友人に対するLINEにも文末「マル」はつけないように、そして長くならないように気を付けているが、ついつい長文を打ってしまう世代である。
そう、わたしもメール世代なので、一つの文章に言いたいことをぶち込むことに慣れていて、チャットのような情報交換をしない交流の仕方がネットの最初の時期は普通だった。
まあ、わたしも絶対に3分で終わる話を15分くらい長々話す輩はものすごく嫌いだから自分も気をつけようとつくづく思う。
で、わたしは1~2週に一回、ミラノのアリーチェちゃんとskypeで言語交換かねて1時間おしゃべりするのだが、本日その話題を振ってみたところ、アリーチェちゃん曰く、イタリアのWhatsAppでも似たような現象があるそうなのだ!
アリーチェは若者だが、アリーチェのコンタクトリストの中で、文末に「マル」(イタリア語でいうところのpunto)を必ずつけるのは「私のお兄さんのお嫁さんだけ」だそうだ。で、その文末で、なんだか怒られてる気分になるのだそうだ。
そういった一見小さな変化はあるとき社会でじわじわと浸透していき、その気配をまったく感じない世代(もしくは人たち)は少しずつ社会から乖離していくのだろうか。
何とも言えないが、それが社会の常識になれば私たちもそれに従うべきなのだろうか?少なくとも文字や絵文字だけの交流のLINEなどでのコミュ二ケーションの場であれば、共通認識やタブーは知っておいたほうがよさそうだ。
わたしはマルハラなるものは日本だけのもののように感じていたが、イタリアでもそうみたいだ。そしてイタリアだけでないようだ。
参考までに↑
イタリア語でいえば、Punto e basta! のような冷たさが「マル」にはあるのだろうか???
情報手段が変わることによる、マナーや考え方の変化は面白い。
少なくとも社会と関わって生き続けたいならば年齢や世代に関係なく、変わっていくやり方にはそういうものだと慣れていくしかないのかな、と思った。