愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第9交響曲(Vol.4.3)
SPCM補筆フィナーレ2021/22年版
フィリップスの疑問
SPCM補筆フィナーレ版は、ラトル&ベルリン・フィルの演奏と録音そしてスコアの出版という商業的後押しもあって、2012年版はスコアに「Letztgültig Revidierte Neu-Ausgabe」(決定的に改訂された新版)と記されるように、決定的な補筆版の位置を確保したかのように見えた。
しかし編纂者の一人J・A・フィリップスは疑問と再考の余地があると考えていたようで、2012年版のスコアでも「コーダとそのスケッチ J・A・フィリップスによる代替案」という補遺としての「反対意見(フィリップス)」を掲載していた。
それから9年後、改訂のチャンスがやってくる。
2021年フィリップスは同僚のJim Wafer博士よりフィナーレのオルガン編曲の依頼受けて改訂にとりかかる。
この時既にSPCMのメンバーのうちマッツーカは鬼籍に入り、コールスも新たなブルックナー全集出版の校訂者に従事するためにこのプロジェクトから辞していた。
フィリップスは一人で改訂作業を行い、その間にSPCM最後の同僚となるサマーレの「熱烈な支持と承認(フィリップス)」を受けて、2022年9月にSPCM2021/22年版は完成に至る。
フィリップスはこの版を以て自分の「最終的な見解」としている。
2021/2022年版の改訂ポイント
フィリップスのコメントによると、2021/22年版の改訂のポイントは大きく分けて2つ。
1)再現部のフーガ16小節分は初期の1992/1994年版のアイデアに戻していること。
2)1992〜2012年版のコーダ全楽章主題統合を撤回して、遺されたスケッチを元に新たな復元。
これらの詳細は以降説明したいと思う。
この2021/22年版は2022年11月30日にロビン・ティチアーティ指揮のロンドン・フィルによって世界初演。本邦においては2023年7月30日札幌にてトーマス・ダウスゴー指揮PMFオーケストラによって一部2012年版を含んだ形で演奏された。(詳細はVol.4.2を参照)
そして2024年6月4日のエリアフ・インバル指揮東京都交響楽団による演奏は完全な2021/22年版の「日本初演」となる。
フィナーレの姿 その2
峻厳な精神の荒野 再現部 フーガ
さて前項に引き続き9番フィナーレを見ていこう。
展開部を経て主題回帰をフーガ化した再現部である。
このフーガは交響曲第5番以来の凝りに凝った音楽だが、5番のそれは「喜んで書いちゃったみたいな(高関健)」のに対して、この再現部フーガはフィナーレ第1主題が変容したモチーフによる「荒々しい性格(アーノンクール)」を持ち、激しい感情が精神の荒野を疾走する。音と音が衝突し火花を散らしながら駆けていく音楽を聴いていると、私はベートーヴェンの「大フーガ」を思い出す。
ラトル&ベルリンフィル音源では9'45"〜
2021/2022年版でのフーガ改訂
この複雑なフーガはいくつものスケッチを重ねながらボーゲン(二つ折り4面五線紙)に組み立てており作曲家の並々ならぬ意欲が見えるが、残念ながら8ページ分のボーゲンが失われており、SPCMではスケッチからの復元が試みられている。
フィリップスは検討の結果、2021/22年版では326小節から341小節に関して2012年版のアイデアを撤回して、1992/1994年版の同16小節間で復元。
2012年版によるラトル&ベルリンフィルでは10'43"-11'13"の箇所を2021/22年版では改訂された。
上掲は1992年版を使用したアイヒホルン指揮ブルックナー・リンツ管弦楽団の演奏。13'41"〜14'20"が2021/22年版で再び採用された。
こうしてこの晦渋なフーガは交響曲第6番フィナーレを引用して激しく終わる。
ラトル&ベルリンフィル音源では12'16"〜
再現部 ホルン・テーマ
フーガの後にはSMPC編纂者が「ホルン・テーマ」と呼ぶ3連符の動機が鳴る。
そして音楽は意表突く3音で中断される。
「どこに向かっているのか理解不能な3つの音」
「恐ろしい死の光景」(アーノンクール)
ラトル&ベルリンフィル音源では12'55"〜
テ・デウム
ホルンが示すその虚無を払うべく、作曲家は護符であるテ・デウム動機と祈りの第3主題コラールを合わせて、神を賛美する。
精神の荒野を駆け、死の告知に怯える作曲家の切なる祈り。
そして救済を乞う賛美。
これは作曲家が望んでいた「テ・デウム(神を称える)」が形として顕れる瞬間であり、テ・デウムの「non confundar in aeternum わが望みは永遠に揺らがない」のテ・デウム動機に乗って7番交響曲アダージョに似たコラールが歌われる箇所を想起させる。
私が思うに、このフィナーレの中で最も感動的な箇所である。
ラトル&ベルリンフィル音源では16'58"〜
(ラトルはアラ・ブレーヴェ2/2拍子を意識したテンポ感で進むが、この箇所ではアイヒホルンのゆったりしたテンポで着実に刻むテ・デウム動機と老練な手つきによるコラールの演奏は慈しみと情感に満ちており、大変捨て難いことは付しておこう。
アイヒホルン&リンツ・ブルックナー管盤では21'25"〜)
ボーゲンの散逸
そして再び3連符の「ホルン・テーマ」が響くがSPCM補筆版の544小節を以て現存するボーゲン(2つ折4面五線紙)は散逸してしまい、これ以降SPCM編纂者は遺されたスケッチなどで補作していく。
ちなみに544小節目はSPCM 補筆版2012年全体の83%まで来た段階。
次回、いよいよ最終章となる。
この項、了