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となりのマンションに住むおじさん


我が家のリビングには大きな窓がある。
家の構造上、わざわざ見ようとしなくても窓の外がよく見える造りになっているのだけど、
そのとき一番に目に入るのが
となりのマンションのベランダである。


住人の方が洗濯物を干しにベランダに出ていたりして、まあそんなこと初めは気にも留めていなかったけれど、
わたしが無職になってリビングにいるようになり、そのとき窓越しによく見かけるのがとなりのマンションのおじさんだった。


おじさんはどうやら毎日ベランダにでているらしく、無職で一日の大半をリビングで過ごすわたしからはベランダにいるおじさんの姿がよく見える。

それまでなんの気にも留めていなかったけれど
頻繁に視界に現れるおじさんがいて、
しかもその行動がちょっと不思議だったために
なんだかおじさんが気になり、その行動を観察するようになってしまった。

すると、おじさんにはあるルーティンがあることに気がついた。


それは朝のこと。
おじさんは毎朝ベランダにでると、まず座って太陽を眺める。
手元が見えないので、はじめはかがんで洗濯物でも干してるのかな〜と思っていたが、そうではないらしい。
ただ座って、太陽を眺めているのだ。
わたしが朝起きて、朝ごはんを食べたり顔を洗ったあともまだベランダにいるおじさん。


長いな…なにしてるんだろう?
そう思ったのが、おじさんを気になり始めたきっかけだったように思う。


おじさんは太陽を眺めてしばらくすると、両手を広げて、そのあと日の光を頭に浴びる。
そしてシャンプーをするような手つきで自分の頭をなで回し、しばらくするとまた太陽を眺める…
それがおじさんの朝のルーティンのようだった。


…?



この光景を毎日のように見かけるうち、
このおじさんは一体…と、気づけばおじさんのことが気になるようになってしまった。


気づいたら気になってる、
となりのマンションのアイツ…


まるで恋のはじまりを予感させる少女マンガ的展開ではあるが、おじさんがわたしに
「フッ…おもしれえ女」と思うこともなければ
この先関係が発展するようなエピソードは一切ないことは、あらかじめお伝えしておきたい。
※期待されてたらごめんなさい。



ほとんどの人が忙しく過ごす朝の時間帯に、
ベランダに現れるおじさん。
ちょっと不思議ではある。

仕事はしてるのかしら。
在宅ワークなのかな?
そもそも、あの朝のルーティンは一体…



余計な勘ぐりや干渉をするのはよくないと思いつつも、朝起きてリビングにいると、
今日はおじさんでてくるかなあ、と思うようになった。


おじさんはなにげない日々の風景として
わたしの無職の日常に溶け込んでいき、
「外が紅葉してるね」
「最近肌寒いね」
というのと同じような調子で、わたしは夫にも
おじさんのことをよく話す。


「となりのマンションのおじさん、
今日もベランダで頭なで回してた」
「なにしてるんだろうね?」
「もしかしたらYouTuberなのかな?
モーニングルーティンの動画撮ってるとか…」
「ええ!バズってたりして」


となりのおじさんについて夫とああだこうだと想像するのは楽しく、
(勝手に勘ぐって干渉して、おじさんごめん)
不思議なおじさんがわたしたち夫婦の日常に
すっかり溶け込むようになっていた。



しばらくしてわたしの仕事がはじまったことにより、最近はなかなかおじさんを見かける機会はなくなっていたが、つい先日、久しぶりにその姿を拝むことができた。


ベランダに登場したおじさんに、
あ、おじさんだ!とわたしはちょっぴりテンションが上がる。

しかしいつもと違い、柵に手をかけて外を見ている。
ん?珍しい。なんかいつもと違うな…
そう思いながら眺めるわたし。


すると、マンションの下に一人の女性が現れた。
女性の姿が見えると、たちまち笑顔になるおじさん。
ベランダから身を乗り出し、何度も大きく手を振り、なんと最後には投げキッスまでしているではないか。


ええ!ちょっとおじさん…!
あなたそんなロマンチックな一面があったの?!
なんて驚きつつ、おじさんがあまりに幸せそうに笑ってるものだから、思わずわたしも笑顔でその様子を眺めてしまう。


幸せそうに手を振り合う二人。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。大好きだよ」

わたしにはそう言っているように見え、
久しぶりに見たおじさんは元気そうで幸せそうで、わたしまでうれしくなった。


結局おじさんは何者なんだろう。
働いているのか、在宅ワーカーなのか、
YouTuberなのか、専業主夫なのか…
太陽を両手で受け止めようとしたり、
頭をなで回すあの行動はなんなのか…
そういったことは一切わからないままだけど、
まあわからないままでいいやと思う。
いや、本音はやっぱりちょっと気にはなるけれど。


でもリビングから見えるおじさんが幸せそうなら、それでいいのだ。
最近はわたしがあまり家にいないため、
おじさんを見かけることは少なくなったけれど、久しぶりに見かけるとなんかうれしい。
いつものルーティンをやっているおじさんは相変わらずで
あ、おじさんだ。
元気そうでよかった。と思う。


きっとこれからも話したり、交流することはないだろうけど
ただおじさんがそこに暮らして生きているというだけで、わたしはなんだか安心する。

それはたとえば、何年もその場所にあるお店が変わらずに営業していることや、
よく行くスーパーの店員さんがいつも同じ人だという安心感に近いものかもしれない。
特別に好きというわけではないけれど、
当たり前にそこにいてくれる安心感。

だから行きつけというわけではなくても、
ずっとあったお店が閉店してしまったり、
よくレジをやってくれた店員さんを見かけなくなると、わたしは少し寂しく思う。

もしおじさんが引っ越してしまったり、姿が見えなくなったら、それもやっぱり寂しいと思うだろう。


「こないだおじさんが、手を振って投げキッスしてたよ」
そう夫に話すと、
「え!おじさんが?!」
と案の定驚いていたけれど、
「へえ〜そんな一面があったんだ。
かわいいね。微笑ましいね」
と言うので、二人でほっこりした気持ちになった。

もう、あのおじさんは一体…?と考えることもなく、わたしたちにとっておじさんは穏やかな日常の一部である。


名前も職業もなにも知らない
となりのマンションに住むおじさんが
ここまでわたしたちの日常に溶け込んでいることは不思議な状況ではあるけれど、
おじさんがベランダにでてくると、
わたしはそれだけでちょっとうれしい。

幸せそうに笑うおじさんのあの笑顔を、
また見られるいいなあと思ってる。



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