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いま、書き残しておきたいこと

更新日が1月17日であるというただそれだけのことなんですが、この日にnoteを投稿すると決めていたことが何かの縁なのかもしれないと感じ、阪神・淡路大震災について書こうと思います。

※震災についての表現があります。苦手な方、しんどい気持ちになってしまう方はここで。クリックしていただき、ありがとうございました。




私は大学進学を機に上京するまで、大阪市内で生まれ育ちました。

28年前、大地震が関西地区を襲ったあの日、私は6歳。幼稚園の年長さんでした。

ゴゴゴゴゴーーーーという低く大きい音が耳に響き、目が覚めました。

部屋の中の家具すべてが暗闇のなかで揺れ動き、二段ベットの上から目線を下に移すと、ベッド横の布団の上で、まだ小さな妹に覆いかぶさる母が見えました。

「みみこはお布団かぶりいい!!!」

母は大声で叫びました。私は泣くことも声を出すこともできず、ただ固まって布団の端をぎゅっと握っていました。

その後、ずっと続いているかと錯覚するような揺れがおさまり、別室で寝ていた父が今まで見たこともない形相で走ってきました。

「大丈夫かあ?! 怪我はぁ?!」

「な、ないぃ……」

そう口にした瞬間に涙がポロポロとこぼれ、父と母は私をベッドから下ろして抱きしめてくれました。

家の中は本や物でぐちゃぐちゃ。今回、記事を書くにあたって震度マップを確認したところ、私たちの地域の震度は4。

マンションの上の階だったこと、耐震も免震も家具の固定もまだ一般的ではなく、わが家が無防備だったことが災いし、物が散乱している状況でした。


次の私の記憶は、朝のテレビの映像とそれを見る両親の姿です。

倒れている阪神高速の高架を見て、父は「えらいこっちゃ」とつぶやき、母は青ざめた表情でじっとテレビを見つめていました。

携帯電話がない時代。固定電話で知り合いの無事を確認しようにも回線が切れているのか、混み合っているのか、つながらない。父は隣町の実家へ、祖父母の無事を確認しに向かったと記憶しています。

マンションのエレベーターは動かず、たくさんの大人たちが上へ下へ階段を使って移動し、声をかけ合いながら移動していました。

「怪我ない? 大丈夫やった?!」
「何回かけても電話がつながらへんねん」

そんな声が外から聞こえました。

「何かえらいことが起こってしもたんや」

揺れも怖かったけれど、6歳の私にはうろたえる大人たちの姿に大きな不安を感じました。


私が覚えている場面はあと2つ。

1つは、神戸に住む会社の先輩を母が探しに行ったこと。震災後数日経っても連絡が取れなかったのです。リュックにありったけの物資を詰め、履き慣れた運動靴で、近くに住んでいた親戚とともに母は新神戸駅へ向かいました。

新神戸駅から徒歩で被災地を歩き回った母。ススにまみれた靴を脱ぎながら「戦争ってこんなんやったんやろか」と話していた言葉が頭に残っています。

幸い、連絡がつかなかった先輩には避難先で再会できたそうです。その方の2階建て自宅は1階部分が潰れていました。

もう1つは数日後、震災後はじめて登園できた幼稚園で、担任の先生が1人ずつ迎えてくれたこと。いつもはニコニコ笑顔の先生が、涙を浮かべて抱きしめてくれました。その強い力を鮮明に覚えています。

園長先生は震災後、救援物資を集めて被災地へ何度か車を出しました。両親と一緒に来客用布団や食料を提供したことも、幼い私の心に残る記憶です。

***

私はずっと、震災を語るべき立場ではないと考えていました。

被災地の人たちに比べたら私の記憶なんて取るに足りないもので、私は何も失っていません。このnoteを不快に思う方もいらっしゃるはずです。

でも最近、気づきました。もしかしたら阪神・淡路大震災の話を”体験”として話せるのは私が最後の世代なのかもしれない、と。

現に私の妹には震災の記憶はありません。私の友人の中にも、ほとんど記憶が残っていない人もいます。

私もだんだんと記憶が曖昧になるのを感じています。

だから、今ここで思い出せることを書き残しておく。書き残す以外にも、両親や周りの人から当時の話を聞いて覚えておく。

あの時の悲惨さを、それでも何とか生き延びてきた被災地の人たちの強さを、もう少し何かできたのかもしれないという周辺地域の悔いを学んでおく。

それなら私にも語る意味が、ほんの少しだけでもあるのかもしれないと思ったのです。

あの日から16年後、東日本大地震が起こりました。私は東京23区内の自宅で揺れを感じ、帰宅難民となった友人を迎え入れながら一晩を過ごしました。

こんな大きな地震を人生で2回も経験するのか?と驚きつつ、きっとこの先も大きな地震は必ず訪れるのだ、と覚悟しました。

阪神・淡路大震災を忘れずに次の地震に備えることは、きっとどこかで誰かの命を救うことにつながると信じています。

震災で亡くなった方の無念を無駄にしないように。

1月17日、わが子と防災について勉強しながら、これからも毎年この日を大切に生きていこうと思います。

▽NHKの阪神・淡路大震災 特集サイトはこちら

▽地震の備えにとても参考になるmarmyさんのnoteはこちら


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