大抵の人は趣味なんてない vs ヒマの過ごし方
全然一切逆張りしてないのに「世間一般」から乖離してしまうのには10代の頃から慣れっこだけど、それでもたまに何故なんだ…と軽く凹む。軽〜くだけど。
だって藤本タツキ『ルックバック』、全然良くないよ!あれは漫画家である自分を自己受容するためのセラピー的なもので、公開当時のクリエイター達の賛美っぷりも寒かった。『さよなら絵梨』は面白いけど、ラスト最高なのにメタ的に皮肉にしてる点が私はこの作者と相性悪いって思ったし、よもやラスト最悪って意見が多いのには驚いた。『チェンソーマン』なんて1巻で挫折した。つまんな過ぎて。それでも話題作に手を出してみる健気さよ…
ってところで思い出したのだけど、マスターがフリッパーズ・ギターとか大好きで、有名な小沢健二ファンの方や、その他音楽好きやちょっと面白い人達が集うバーに行った時。カウンターだけの小さなお店にお客さん5人、総勢6人で話していたら、全員が『ONE PIECE』に早々に挫折しててめちゃくちゃ面白かった。「みんなどこまで頑張れた?」って言い合って、最高に頑張れた人で5巻まで。最短の人は2話までだった。ちなみに私は2巻の途中までです!
こういう空間にいくと、「ああ、生きてていいんだ。このままでいいんだ」って実感できる。別に生きてて苦しいとかでは全然ないのだけど、自分と乖離し過ぎた「世間一般」ばかりに囲まれていると少しずつ消耗するもので、ハズレ者にとって仲間に会えた時の喜びは殊更なのだ。好きなものや人に囲まれるような生活をしたり、自分のツボにハマる作品を探したりって、楽しいからだけではないのかも。
「本を読まないということは、その人が孤独でないという証拠である」という太宰治の有名な言葉があるけれど、その通りだと思う。音楽や映画、漫画も含むけれど、本は作者と密接な「個の関係」を築ける点で一番孤独に効くと思う。その想いを他者と共有できたら尚更だ。
趣味に関して、以前Xで流れてきた動画に衝撃を受けたことがある。
『趣味を聞いてくる男はモテない』という言葉が添えられた、女の子が2人で話す26秒動画
投稿者が整形・夜職界隈インフルエンサーとはいえ、恐らく「趣味なんてない」という人は結構いるんだと思う。(趣味は何ですか?という"聞き方"する人はコミュ力低いとは思うけれども)それにしたって「お昼なに食べた?」なんて、私にはつまらな過ぎてただの場繋ぎとしか思えないが、恐らくそれで良いのだろう。適当に場が持てば良い。意味や内容は別段必要ない。目の前の時間をやり過ごす。
それに最も適したのは言うまでもなくSNSだ。特にTikTokは最たるものだろう。暇な時間の過ごし方に悩むことがなく、友達や恋人との楽しい時間もあって孤独でないなら、趣味なんて必要ないのは「世間一般」ではもはや当たり前なのかもしれない。
しかし、本当にそれで満たされているのだろうか。実際は孤独からも目を逸らしているのではないだろうか。暇を漠然とやり過ごしたり、スケジュールを埋めて忙しくしたりして時間を塗りつぶすだけで本当に満足なのか。好きなことは美容やファッション・グルメ等の尽きることない消費とSNSだけなのか。いつか岡崎京子『ヘルタースケルター』のりりこのように叫び出してしまわないのか。私は、スチャダラパー『ヒマの過ごし方』のようなものこそ、豊かな時間の過ごし方だと思う。國分功一郎的に言えば「消費」でなく「浪費」せよだ。
「一生 棒にふるぐらいの ヒマとゆとりを持って進もう」って私は思うし、小沢健二『さよならなんて云えないよ(美しさ)』の歌詞「くだらないことばっかみんな喋りあい」は、決して動画の女の子達のような会話ではないと思うのだ。