【「あれも、これも」となってしまいがちな人の心理】~焦って取り組んでも、良い結果には結びつかない。一点突破は覚悟以上に、本当に好きかが問われていると、思う~
早いものでもう20年も前の話となりますが、法学部1回生のときにキルケゴールの『あれか、これか ある人生の断片』という実存主義の哲学書を読み、読後の感想として「いや、でも人生やっぱり”あれもこれも”だろう」と感じた私は当時19才になりたてでした。
今思えば欲張りであり、天の邪鬼であり、心のどこかで「焦り」のようなものを感じていたのかもしれません。田舎からポッと出てきて、東京という地で何者かになりたいという野心はありましたが、今考えれば全くもってお恥ずかしいかぎりです。
とはいえ、直感的に「”あれも、これも”だろう」と感じていたのは20年を経た今でも、あながち方向性としては間違っていなかったかなと。当時は主語が「自分」で、自分の人生のことしか考えていなかったように思いますが、現在はいろいろと社会的な立場もおかげさまで得られていますので、主語は「周りの人」になっています。周りの人のためには、有形・無形問わず、あれもこれもやっていくのがミドル世代の誰もが経験することかなと。プライベートの時間というのをいちいち気にしているヒマもないほど、公私ともに動く日々を送っています。
一方で、改めて「自分」というものを主語で考えたときに、今何かの決断を行うときは、「あれか、これか」は必ず1つに絞ることを自分に課しています。熱力学において、「エントロピー増大則」というのがあり、たしか20才後半ぐらいのときに関連書籍(『選択の科学』だったと思います)を読んで、なるほどと思いました。無秩序にエネルギーが拡散していく様は、まるで「あれも、これも」と追い求める自分の気持ちと一緒だなと。そのことに気づいたときに、私は5年勤めた職場をすっぱり辞めて、現在も続く弊社を創業しました。
まぁ、創業時~数年間は紆余曲折あったのですが、それらの出来事は振り返れば「成長痛」であり、思うような結果も出せず、周りに迷惑をかけてばかりの日々でしたが、そこをどうにか崩れずに突破できたのは多くの人たちのおかげですし、「文章一本」で生きていくと決めたからだと感じています。
創業から早いもので、来月には丸12年となりますが、周りの人には「あれも、これも」としたいなぁ~という気持ちは抜け切れていませんが、経営者&いちクリエイターとしては「いつでも一点突破」であります。30才前後のときは、それは覚悟の話だと感じていたのですが、40才も近くなってくると「ああ、これは”好きかどうかが真に問われている”」と感じています。「好きこそものの上手なれ」という言葉は、仮に30~40年の尺で考えるなら、正しいものと個人的には思います。
好きなものほど、時間が経過してみなければ分からないことが多いもの。逆に言えば、嫌いなものは理由がはっきりしているから、判断するのに時間をかけるのは無意味です。「あれも、これも」と悩んでしまう人は、「心底嫌いなもの、10年後も続けているイメージが全然持てないもの」は、さっさと足切りをして、本来時間をかけるもの、情熱を費やすものに人生を傾けてみましょう。「あれも、これも」と欲張ってみたところで、人生なんて「片道切符」ですから、複数の選択肢を残しているように見えても、手数(てかず)は自ずとかぎられます。
人生が有限なものであることを理解すれば、「あれも、これも」と欲張っている自分が、何だか滑稽に見えてくるかもしれませんね笑 思い立ったが吉日、「(今の自分を)1つに絞って道を拓こうとすれば、自ずと具体的な応えは返ってくるもの」。心の迷いは最終的には自ら決めて断つものであり、「好きな1点に絞り込めば」そこは”あれも、これも”でいいかなと。
何かやっているようだけど、まとまりがなければ単なる自己満足です。「エントロピー増大則」、心のベクトルがどちらに向いているかを折に触れて、見つめ直していきたいものですね。人生の節目というのは、そういうものと理解しております。
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