中学時代-わたしが制服を脱いだ理由1
「これ以上、お宅のお嬢さんを我が校で面倒みることはできません」
処分が決まるまでの約1週間、わたしは他の生徒と同じ教室で授業を受けることすら禁じられた。
登校すると別室へ通され、非番の教師達の監視下で1日中「課題」という無意味な時間を過ごした。
「……ですが、お嬢さんの将来を考えてここは『自主退学』ということにして差し上げます」
最後まで馴染めなかった大嫌いな学校は 「わたしのため」という表現を使ったけど
自分達のブランドを守るための、恩着せがましい 『自主退学』で
大人のズルさや汚さをより一層わたしに植え付けるだけだった。
中学3年の11月、わたしは初めて人生のレールというものを踏み外した。
それはあまりにあっけなくて、両親に申し訳ないとか、これからどうしようとか、
そんな感情すらわいてこないことに酷く驚いた。
その瞬間は、やっぱり他人事にしか思えなかったのだ。
ただ、そうなる少し前から両腕は傷だらけで、授業中に過呼吸を起こして倒れるのが日常茶飯事。
教師も両親もクラスメイトも腫れ物に触るようにわたしに接していたから
これでよかったんだと思った。
わたしと彼らの中の真実に大きな違いがあったとしてもーー。
通っていた中学は所謂私立のお嬢様学校で
帰国子女クラスがあったり、有名なバレエ団が定期的に公演に来るような学校だった。
中高一貫校だったため、基本的に高校受験という概念はなく、
辞めるにしても海外の高校へ進学とか、親の駐在についていくとか、
もしくは教育レベルについていけなくてドロップアウトかーー。
もちろんそのどちらにもわたしは当てはまらなかった。
時期も高校受験の準備を始めるには遅すぎる11月末。
わたしは通っていた中学校を自主退学、正確には退学処分となった。
全ての始まりは中学2年生の春休み。わたしは14歳だった。