こんにちは。
介護福祉医療のお仕事を終え、終止符を打ち
次に金融関係コンサル関係の仕事に向けて走り出しました。公認会計士の色は強烈に違う味で、趣味程度に簿記の資格を始めた時の事を思うとあの時全否定的な目では見てないが少し感触が違う。望むものではないと思っていました。介護士としてゆとりや自然を味わい意気揚々と20代の綺麗さを素朴に自分の色を出したいと走っていました。看護助手の時もそうでした。ですが20代後半から段々と不信感が募りました。馴れ馴れしい喧嘩やさせていただく側していただく側。両者のパワーバランスが酷い現状の中、自分をその空間におく事が嫌になりました。体を綺麗に保つ。体や心を健全にする。とても素朴で好きな仕事でした。しかし、直結直面的に見るとどうしても行き着く最期の砦がブレました。教育とは?クリエイティブとは?扱いたくなくなりました。保育も美容もスポーツも介護も看護も医療も。何ら人に手を加える行為のある仕事です。本気でやって本気で闘ってどうして負けるのかわかりません。凄く悔しいです。凄く自尊心の問題が憚られる空気感の中、共に仕事はしたくありません。体罰やヘルスケアは機械からで十分です。それも分からず仕事も終えた人の目で何が出来るのでしょうか。高齢時代にかかってる今、私は身を捧げたくなくなりました。父は官僚でした。凄く恨まれました。凄く護りたくなりました。結論この意味すら風通しがちゃんと通っているのかすら虐めという言葉ですませるべき汚い世の中です。良い暮らしができる人はそれだけ給料がありました。それだけの力で統制を図りそれだけの影響下で生活を共にしました。趣向を存分に己の意志を貫き心身共に最後まで健康にいてほしいです。しかし不思議で歳をとると趣向が似るのか、私も涼しくて煌びやかなところを好むようになりました。素朴とはまた別で機械的なダイナミックに美しい仕事を好むようになりました。医師とは、違います。中央省庁勤めも考えましたがやはり違います。国に添いすぎず国が世界から出す法案に常にアンテナが入る位置に居てその空間空気感と共に生活したく思いました。女の汚い色も嫌いです。媚びすぎず真っ正面から迎え撃つ中央省の女性は凄く憧れます。30歳から入るのは多分20代前半の人にキラキラが取られそうで入りにくく思い監査法人に思いの最期を寄せました。お父さんが体験した世の中は又違う煌びやかなダイナミックで綺麗さと極みまで自分を追い込み勉学と闘った結果が出せる技です。そしてそんな父が好きで憎いです。汚いとさえ。私の度量は上げないといけない。美人だ近づけない。安堵さえもさせない。私はその意志をプロテクトさせ監査法人への転職を臨みます。公認会計士試験合格さえしても、お父さんと仕事をさせて貰えない形を作ったこの国のかたちを恨みます。そして家族奉公しなかった周りを嫌います。意志を図り切らない大人は悪です。誰にも意思があり意志の成立を求め自分を表現します。誰かにされるのではなく自分でするのです。諦めたり人に祈り託すのも悪です。頼んでないし、応援も汚い。諦めない限りは多少は己れを貫ける。一人で会社と闘う。それで良いと思う。気の合う仲間が社内と周りに出来ますように。妬みや嫉妬が起こりませんように。そして能力を他人が測り得ませんように。自分の仕事を他者と共有のピントが合いますように。育てが間違わずに私が綺麗に自立出来ます様に。