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やっただけで終わらせず、もっと先へ。
最初のうちはね
やってみた、いっぱいやった
それで
楽しかったね。と、
そんなんでもいいと思うの。
だけど
いつまでもそれでは
満足できないし
それだけじゃなくて
もっと先に楽しみがいっぱいあるよって
いろんな人に
いろんな出来事に
わたしは教えてもらったから
大切だなって思うことに
ただやるだけ
時間を使うだけ
そういう向き合い方はもうしない。
たとえ
長い時間をかけられなくても
その
自分の「好き」を信じて。
そして、小さくてもいいから
何かしらの形にして、世の中に出すこと。
そうするとね
不思議と、近くで見ていてくれる人が
いたりする。
作るのはずっと好きだったけど
自分で作って、使って、満足して…
そんな小さな世界で暮らしてた。
以前はそれで良かったの。
怖がりなわたしのことだから
無理矢理外への扉を開けるよりは
細々とでも続けられていれば良かった。
数年前からの楽しい激動の日々に
心も少し
形にするって、力を宿すことなのかも。
しばらくnoteからも離れていたけど
久しぶりに帰ってきて
自分の過去の記事をぱらぱらと読んでみた。
ドラムを始めた頃から
しばらくの間は毎日のように
何かしら書いていたものだ。
当時、環境も変わったばかりで
たくさんの刺激を貰いながら
心も存分に動いていたのがよくわかる。
「こんな風になれたら」
「こう思って生きたい」
そういう希望もよく綴られている。
今考えてみると、
その当時感じてい
別に、明けなくていいのに。
「夜明け」に関しては
まだそう思うことが多々あるけれど
それはまたの機会にして
本題である
「年明け」のお話をしようと思う。
子どもの頃から、この時期は苦手だったし
時に苦痛ですらあった。
年に一回の、その時期が来た。
たったそれだけのことなのに
やれ、あれもしなさい、これもやらなきゃ、と
あちこちから責め立てられているかのような気分になった。
一人暮らしになってからの初めての年越しは
気
どこまでいっても、わたしはわたし。
そんな当たり前の事実に
今更凹んでいる。
わたしは
わたしなりにいくつもの波を越えて
すっかり変わった気でいたからだ。
だけど変わったのは
わたしの気持ちだけで
根っこの部分は過去としっかり繋がっている。
きっと
どれだけ先まで走っていったつもりになっても
隣でそれを過去のわたしが
冷ややかな目で見ているのだろう。
いっそ何もなかったことにして
逃れたい、忘れてしまいたい、と
思うことはた
顔面に、宇宙を描く。
ご時世柄、
マスクで隠れる場所ではあるけれど
ふと鏡の前に立つと
重ねた年月の証に
ため息をつきたくなってしまうことがある。
今はね、
化粧品や美容医療や
そんな「対抗手段」はいくらでもある。
でもわたしは
もっと違うことに
お金も時間も使いたくて。
そんなことを考えたりしながら
ぼんやりと鏡を見ていて
しみやほくろと言われるものも
小さいのがこれだけ集まったら
郊外で見る満天の星空みた
当たり前の世界と、ありがとうの世界。
わたしは
「当たり前」の世界で
生きてると思ってた。
何か出来ても
「そんなの当たり前」
しないでいると
「やるのが当たり前」
そんな風に言われながら
育ってきた。
やりたいことなんて
あるかと聞かれたところで
めったに見つからなかった。
今思えば、そりゃそうだよね。
そんなわたしの世界はいま
「ありがとう」で
満たされようとしている。
何かを感じたら
その対象に「ありがとう」
何
音楽とわたし。(3)
前の記事はこちら。
将来の夢なんて見つからず
受験も上手くいかないまま
高校を卒業することになった。
アルバイトをしながら
忙しく遊び回る日々。
そんなわたしを支えてくれたのも
音楽だった。
自室でものすごくこっそり歌っているつもりが
うるさい!と母からの苦情が絶えず
向かう先はカラオケ。
友人と一緒に行くことも多かったが
いつしか1人でも歌いまくるように。
ネットでかじった知識をも
音楽とわたし。(2)
前の記事はこちら。
先日しばらくぶりに会った母から
「あなたの出てきたから持ってって」と
渡されたいくらかの書類の中に
小学校の通知表が入っていた。
何気なく手にとったそれに
書かれていた当時の担任のコメントは
「音楽の時間はリズムも音程も正確に歌っています」
というような文面であった。
昔から歌うことは好きだった。
そして家には小さなおもちゃのキーボードがあり
よくそれでも遊んでいた。