みみ

日々の気づきや心の模様を素直に綴っています。 広く浅く多趣味です。 like♡→ドラム🥁紅茶☕写真📷️歌🎤料理🍳手芸🪡お絵描き🎨etc...

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マガジン

  • ドラマーへの道

    多分読んで頂いてもドラム上手にはなりません。 だいたい夫への感謝とか先生への敬愛とかレッスンの思い出が心からあふれだして画面のしみになったものです。

最近の記事

変わらないもの。

それは、わたしの中に今もある。 小さい頃から 怖がりで慌てんぼ。 そのくせ、好奇心はいっぱいあって。 大きくなるにつれて 心にも服を着せるかのように 自分の見せ方を考えはするけど やっぱり、ふとしたときに 変わらない自分が にょき、っと顔を覗かせる。 最近、心を戸惑わせていた 一連の出来事も よくよく考えたら わたしがそんなに心を揺らさなくても 良かったのかもしれない。 だけど、 どうしても怖がりのわたしが それを放ってはおけなくて 大人の皮を被った 慌てんぼの

    • 心の揺れは絶対値。

      普段は気遣い上手な優しい人が いざ怒ったらめちゃくちゃ怖かったとか いつもカリカリしている人が ちゃんと話すとすごく熱心だったりとか 本当の姿はどっちなの? なんて、つい考えてしまうものだけど 本質はその人の持つ エネルギーの多寡なんじゃないかなって 感じるようになってきた。 他の人に気遣いが出来る人は それだけしっかり 相手や周りを見たり、状況を判断して考えて 行動することが出来る人だろう。 つまり、 そこに怒りというものが 掛け算されたら 相手をよく見て 的確

      • 完璧な人間なんか、いるわけがない。

        前にも似たようなことを 書いた気はする。 最近、身に染みてそう思う。 付き合う人は選べ、なんて言ったって 何もかも理想的な人なんか いやしない。 みんな何かしらの 愛おしい欠陥を 抱えたり背負ったりして それでも生きてる。 だからね 結局は自分が どれだけ相手を好きか、も あるかもしれないけど 相手のそういう部分を どこまで受け止められるか どこまでを許せるか そういうことになってくるのかな、とも思う。 その結果 少数精鋭のお付き合いをする人もいるし 広く浅く、を

        • 大きな流れに身を委ね。

          仕事を終えた帰り道 近いうちに来ようと思っていた 近所の神社へ。 平日の真昼 天気は最高に良い。 街中からも離れた場所で 参拝者の姿も時々見掛ける程度。 早朝の厳しい寒さが 跡を残す手水舎。 一際、清められたような気分になる。 長い石段を ひとつひとつ踏みしめながら 降りてきた人と 挨拶を交わす。 彼を見送り、 振り返ればもう誰もいない。 まっすぐ、静かに 草木は生い茂り 光や風がその間を 通り抜けていく。 ただそれだけの、 美しい存在があった。 ひとり歩いて

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        • ドラマーへの道
          26本

        記事

          荷物を降ろしてから、本当の重さに気づく。

          思えば、そんな経験を何度もしてきた。 1人暮らしで知ったのは 親の有り難みよりも あれこれと親から干渉されたり 一々文句を言われずに済む気楽さで 実家で暮らすのは思ったよりも 自分にとってストレスフルだったのに気づいた。 正社員をやめて思うのは お給料が減った不満よりも 自分の望んだようなスケジュールで 働かせてもらえるありがたさで 仕事とはいえ、やりたくないことを強いられる それだけのことでも 自分の心に余計な負担をかけていたと知った。 わたしの心配事を聴いていた

          荷物を降ろしてから、本当の重さに気づく。

          やっただけで終わらせず、もっと先へ。

          最初のうちはね やってみた、いっぱいやった それで 楽しかったね。と、 そんなんでもいいと思うの。 だけど いつまでもそれでは 満足できないし それだけじゃなくて もっと先に楽しみがいっぱいあるよって いろんな人に いろんな出来事に わたしは教えてもらったから 大切だなって思うことに ただやるだけ 時間を使うだけ そういう向き合い方はもうしない。 たとえ 長い時間をかけられなくても その分真剣に向き合っていく。 そしたらきっと 伝わる人には伝わるし 自分の心身も

          やっただけで終わらせず、もっと先へ。

          自分の「好き」を信じて。

          そして、小さくてもいいから 何かしらの形にして、世の中に出すこと。 そうするとね 不思議と、近くで見ていてくれる人が いたりする。 作るのはずっと好きだったけど 自分で作って、使って、満足して… そんな小さな世界で暮らしてた。 以前はそれで良かったの。 怖がりなわたしのことだから 無理矢理外への扉を開けるよりは 細々とでも続けられていれば良かった。 数年前からの楽しい激動の日々に 心も少しずつ変わっていって 世の中って 自分が思ってたよりずっと優しいと思ってたけど

          自分の「好き」を信じて。

          形にするって、力を宿すことなのかも。

          しばらくnoteからも離れていたけど 久しぶりに帰ってきて 自分の過去の記事をぱらぱらと読んでみた。 ドラムを始めた頃から しばらくの間は毎日のように 何かしら書いていたものだ。 当時、環境も変わったばかりで たくさんの刺激を貰いながら 心も存分に動いていたのがよくわかる。 「こんな風になれたら」 「こう思って生きたい」 そういう希望もよく綴られている。 今考えてみると、 その当時感じていた希望のいくつもが わたしの心に 根をはりつつあると思う。 もちろん、全部じゃ

          形にするって、力を宿すことなのかも。

          別に、明けなくていいのに。

          「夜明け」に関しては まだそう思うことが多々あるけれど それはまたの機会にして 本題である 「年明け」のお話をしようと思う。 子どもの頃から、この時期は苦手だったし 時に苦痛ですらあった。 年に一回の、その時期が来た。 たったそれだけのことなのに やれ、あれもしなさい、これもやらなきゃ、と あちこちから責め立てられているかのような気分になった。 一人暮らしになってからの初めての年越しは 気持ち程度の掃除をして、 買ってきた小さな鏡餅を飾るぐらいで ほとんど何もしなかっ

          別に、明けなくていいのに。

          海の泳ぎ方。

          ↑ のんきにこんなこと言ってた数ヶ月前。 いつか大海原を 泳いでいくことになるだろうとは 思っていた。 泳ぎ方は 少しずつ覚えていったら きっと大丈夫だろうと 思っていた。 でも その先がまだあって この海には 楽しいことがまだまだあるんだよ。 あなたの好きなように 泳いでいってくれたら嬉しい。 そんな風なことを 伝えられた。 普通に考えたら多分 ものすごい有難い話なんだけど わたしは まだまだまだまだ全然泳げない!って 思ってるから いつになったら そこに辿

          海の泳ぎ方。

          どこまでいっても、わたしはわたし。

          そんな当たり前の事実に 今更凹んでいる。 わたしは わたしなりにいくつもの波を越えて すっかり変わった気でいたからだ。 だけど変わったのは わたしの気持ちだけで 根っこの部分は過去としっかり繋がっている。 きっと どれだけ先まで走っていったつもりになっても 隣でそれを過去のわたしが 冷ややかな目で見ているのだろう。 いっそ何もなかったことにして 逃れたい、忘れてしまいたい、と 思うことはたくさんある。 ただ、月並みかもしれないけど それもまた、今のわたしを構成する材

          どこまでいっても、わたしはわたし。

          顔面に、宇宙を描く。

          ご時世柄、 マスクで隠れる場所ではあるけれど ふと鏡の前に立つと 重ねた年月の証に ため息をつきたくなってしまうことがある。 今はね、 化粧品や美容医療や そんな「対抗手段」はいくらでもある。 でもわたしは もっと違うことに お金も時間も使いたくて。 そんなことを考えたりしながら ぼんやりと鏡を見ていて しみやほくろと言われるものも 小さいのがこれだけ集まったら 郊外で見る満天の星空みたいだよなぁ、って ふと考えてた。 それに気づいたら なんだかちょっと楽しくなっ

          顔面に、宇宙を描く。

          当たり前の世界と、ありがとうの世界。

          わたしは 「当たり前」の世界で 生きてると思ってた。 何か出来ても 「そんなの当たり前」 しないでいると 「やるのが当たり前」 そんな風に言われながら 育ってきた。 やりたいことなんて あるかと聞かれたところで めったに見つからなかった。 今思えば、そりゃそうだよね。 そんなわたしの世界はいま 「ありがとう」で 満たされようとしている。 何かを感じたら その対象に「ありがとう」 何もなくたって 穏やかでいられることに「ありがとう」 自然と そんな気持ちになっ

          当たり前の世界と、ありがとうの世界。

          音楽とわたし。(3)

          前の記事はこちら。 将来の夢なんて見つからず 受験も上手くいかないまま 高校を卒業することになった。 アルバイトをしながら 忙しく遊び回る日々。 そんなわたしを支えてくれたのも 音楽だった。 自室でものすごくこっそり歌っているつもりが うるさい!と母からの苦情が絶えず 向かう先はカラオケ。 友人と一緒に行くことも多かったが いつしか1人でも歌いまくるように。 ネットでかじった知識をもとに 携帯で自分の歌を録音しては聴き あーでもない、こーでもないと考え出したのも

          音楽とわたし。(3)

          音楽とわたし。(2)

          前の記事はこちら。 先日しばらくぶりに会った母から 「あなたの出てきたから持ってって」と 渡されたいくらかの書類の中に 小学校の通知表が入っていた。 何気なく手にとったそれに 書かれていた当時の担任のコメントは 「音楽の時間はリズムも音程も正確に歌っています」 というような文面であった。 昔から歌うことは好きだった。 そして家には小さなおもちゃのキーボードがあり よくそれでも遊んでいた。 ピアノを習っている友達の家に行った時に 今これやってるんだよって見せてもらったも

          音楽とわたし。(2)

          音楽とわたし。

          夕食の支度をしながら 頭の中でメロディーを奏でようとして ふと 母の後ろ姿を思い出した。 母は陽気な人だ。 よく夕食の支度をしながら 楽しそうに鼻歌を歌っていたものだ。 たまに調子を外すこともあったし 何の歌だか知らない曲も多々あったけど いつも楽しそうにしていた様子は 強く印象に残っている。 父は自分の趣味など 語ろうとすることはなかったが 母曰く、父は歌が上手なのだという。 家にあるオーディオ機器は 父が独身の頃にお金を貯めて買ったものだ、 とも話していた。

          音楽とわたし。